野田秀樹 当り屋ケンちゃん [#表紙(表紙.jpg)] 目 次  不鑑賞《ふかんしやう》の手引き——作家自作を語る  この文庫本を買った人だけが得した気になる文章    ——あるいは、たった2ページで無限の読書  当り屋ケンちゃん   けれどもう半生——野田秀樹、野田秀樹を語る [#改ページ] [#小見出し] 不鑑賞《ふかんしやう》の手引き [#地付き]————————作家自作を語る[#「作家自作を語る」はゴシック体]  横断歩道には、青にならないうちから渡る人がいる。  私は、こういう人を横断歩道のツウと呼んでいる。 「俺《おれ》は、この信号のことは、よく知っている。この信号なら任せておけ。この信号とは昔なじみの深い仲なのよ」  と、粋《いき》な感じで、真っ先に渡る。  やがて信号が青になる。  皆んなが渡る。  こういう人を見ると「憎いよ、この横断歩道殺し!」と後ろからつきとばしたくなる。  昔は、横断歩道のツウになるのは、そう難しいことではなかった。誰《だれ》もが評論家になれるようなものであった。  横の信号を見て、赤になったら渡る。  技術はそれだけであった。  まあ、バカでも横断歩道のツウと評論家ぐらいにはなれたものである。  しかし、そう手易《たやす》く手の内を読まれたとあっちゃあ、横断歩道の方も面白《おもしろ》くない、というので、七〇年代を境に、渋谷や新宿を中心とした田舎町で、スクランブル交差点という前衛的な横断歩道が現われた。  スクランブル交差点にある信号は、野球のブロックサインのようなもので、どこを見てどうすればいいかわからないような信号である。一番安全なのは、目をつぶることである。  本当のところ、あのスクランブル交差点に関しては、皆んな誰もが、わからぬまま渡っているというのが現状である。  周りの人が渡り始めたから、というので渡っている。つまり、そこでは殆《ほと》んど横断歩道のツウに負うているといえる。おそらく横断歩道のツウがいなければ、いつまでも皆んな渡らないのではあるまいか。  そういうわけで、私のこの小説はスクランブル小説と呼ばれている。  ぜひとも粋な通人が現われて、「これは面白い」と小説を横断して欲しい。  しかる後に、皆んな渡ってくれると思うから。  ただ、あまり通ぶってスクランブル交差点を渡ると交通事故に会うから、そこのところは、くれぐれもよくわきまえて、通というものになって欲しい。  わきまえのない浅智恵《あさぢえ》の通人というのは、たとえばこの文章の�横断歩道�は、�文学�のメタファーになっている、などと邪推するバカモノのことである。  そこのところを、ヨロシク。 [#改ページ] [#小見出し] この文庫本を買った人だけが得した気になる文章 [#地付き]——あるいは、たった2ページで無限の読書[#「あるいは、たった2ページで無限の読書」はゴシック体]  ここで冒頭へ戻《もど》る。  だって、いえ、もう、ずいぶんと昔のことになりますもの。摩訶《まか》不思議な体験をさせてもらいました。  私、本屋へ参りましたの。  題名も作者の名も忘れましたけれど、面白そうな本がありました。装幀《そうてい》は、たしか、そう四コマ漫画の、俗に言えば破廉恥《はれんち》、聖でくるめばお美事としか言いようのないものでございました。いえ、私も、最初は、てっきり中味は漫画だろう、そう決めてかかってペラペラとめくって驚く6ページ、ここで冒頭へ戻る。なんていう奇抜な活字が目にとびこんでくるじゃありませんの、そのエッセイときたら。しかもタイトルは、「この文庫本を買った人だけが得した気になる文章」などとあります。  人間、貪欲《どんよく》はいけません。  損得で暮す日常がいやになり、たまには書物と面と向い、心|鎮《しず》めよう、そう思って本屋へ足を運んだというのに、そこでもまた「得した気になる」などというフレーズを見つけると、とたんに目がそこへ飛びついてしまうのです。  ※[#(fig1.jpg)]などという便所の柱の貼《は》り紙のような思想を、頭では拒絶しながらも、癖になった体は、知らず受け入れてしまいます。いけない、駄目《だめ》だわ。そうあらがいながら私は、ついに、そのエッセイを読みはじめました。そして読んだが最後、二度と出られぬ迷宮になろうとは思いもよりませんでした。  というのは、そのエッセイのはじまりは、今、はっきりと覚えているわけではありませんが、確か、こうだったと思います。  ここで冒頭へ戻る。 [#改ページ] [#小見出し] 当り屋ケンちゃん     1  身も心も、七つの頃《ころ》初等学校へ通った道すがらを覚えているか?  きっと歩いて十五分もかからなかっただろうに、今の時間が三日ぶんはつまっていた。  行ってくるぞと勇ましく、家を出たとたんに、百メートルはかけ出して、突如ぱたりと足を止め、子犬の頭をなでて、たたいて、餌《えさ》をけとばし、角を曲って岩の上にあがる。人の家を覗《のぞ》いて、笑って、怒鳴られ、はらいせに隣りの歯医者の家の呼鈴を押して、走って、笑って、水を飲んで、角を曲って、おじぎ草を摘む。おじき草をこすって「こいつが、おじぎすることを知っているか?」と隣りのシロツメクサに問いかけ、おじぎ草が、うやうやしくおじぎをするのに心満ち足りるや、桜の木にもたれて休む。ややもすれば休み続ける。空を見上げて電線の長さに呆《あき》れているうちに、「感電してぶらあんと黒こげになった死体の話」を思い出して、いやな気持ちになって駈《か》け出す。パン屋におはようと言った笑顔で、箱屋の縁側に土足であがり、大きな通りを渡って、柿《かき》の木沿いにある、クイの本数を足で数えて、六十三本までは数えられたなと思った目の前から、全く同じことをしながら走ってくる友達が見える。  これでもまだ十五分と経《た》っちゃいないんだ。  しかし今、これだけのことをしようと思ったら、朝起きて初等学校へ着くまでには、優に三日はかかるだろう。  学校へ行けば行ったで、たった五分の休み時間に遊んでも、今思えば、たっぷり一日ぶんの時は過ぎていた。  休み時間が二十分もあろうものなら、その二十分はゴールデンウィークだ。  放課後の一時間は、一ケ月の夏期休暇だ。  学校からの帰り道は、行きより、もっと長い道草が待っている。  家へ帰っても、まだ昼下りだ。それからの時間はまたひとつの時代に匹敵するほどだ。  夕方には、悠久《ゆうきゆう》の時代が待っている。  まして、夜には時が使い尽されて、時間の方がカラカラになって止ってしまう。  かように子供の時間というのは違う。パリ時間、モスクワ時間、日本時間とあるように、子供時間というのがありそうだ。  子供が我々と同じ時間を持っているとは思えない。  子供の体の中には、確かに時計が埋まっている。  ミツバチと同じだ。太陽が消えても、どこに太陽があるか、子供にはわかっている。  体の中の時計が、日の出と日の入りとを、日に百遍も繰り返しているのだ。 [#ここから2字下げ] 世界地図を広げて下さい。そして亜細亜《アジア》という國《くに》の頁《ページ》に、赤く塗りこめられた日本という國を見つけて下さい。 そこには、子供の時間を売っている会社があります。それが、わが大東亜文化圏創造社です。 もし、子供の時間など、二度と持つことができないと、あなたが早々にあきらめていらっしゃるのならば、すぐに左記の番号へ、お電話を下さい。 たったひと粒の白い実を、あなたの手元に贈ります。その白い実を頬《ほお》ばるだけで、口一杯に子供の時間が広がります。 [#ここで字下げ終わり] [#地付き](一一七)一一五五 大東亜文化圏創造社  赤木圭一郎は、そんないかがわしい広告文を、漫画週刊誌の、色の違った通信販売の頁に見つけた。  大胆なゴシック体で「子供の時間、売ります!」とあった。  大東亜文化圏創造社という時代がかった名前が、なおさらいかがわしかった。  國という字だけが古い字体になっているのも、またいかにも通信販売らしく、まがいものぶりを演出していた。  圭一郎は子供の時分から、こうした通信販売のイカモノが好きだった。  欺《だま》されるのではないか、いや八割方、欺されると知りつつも、そのいかがわしい色と光と臭《にお》いとに近づいてしまう。  たった五百円でカメラが買えたり、七色万年筆というサインペンを送ってくれたりする。ひとりぼっちで淋《さび》しがっている男の子には、友達の女の子まで紹介してくれたりする。気に入ったらすぐに結婚してよいという但《ただ》し書きさえある。  その通信販売の商品の種類にも限りがあって、近頃は目新しい物はなかった。  大東亜文化圏創造社のそれは、ひと味違っていた。  子供の時間を贈ってくれる会社だ。  白い実を口にすると、子供の時間が手に入る——口にする白い実とは、なんだろう。圭一郎は、この年になって、今さら、子供の時間が欲しいわけではなかった。  子供の時間ではない、その前に口にする「白い実」の正体にあたりをつけていた。 「白い実」というからには、タダゴトではあるまい。  ひとたびその実を口に頬ばると、強烈な味覚が押し寄せてくる。  じいっと、その味覚の正体を見極めるために、部屋の柱を見ていると、いつのまにか自分の体が柱をすり抜けたりする。あるいは、丸い天井が覆《おお》いかぶさってくる、その丸い天井の中で、自分の声が響き渡り、外へ出られないのを知る。急に部屋が草むらのように燃えてくる。頭のまわりを、キリリリッ、キリリリッと、黒い鳥が鳴きながら、大変な速さで回っていたりする、あの|えもいわれぬ《ヽヽヽヽヽヽ》味覚のことだろうか。  急に人間に空を飛ばせてみたり、地面を泳がせたりする「白い実」のことだろうか。  もしもそうだとすれば、圭一郎は、その「白い実」にはいささか用事のある気がした。  かといって、圭一郎は「白い実」の常習者ではなかった。白い実が放つ、色と光と臭いの祭典、つまるところが、そのいかがわしさだけを、これまで圭一郎は相手にしてきた。そうしたいかがわしい会社に、ぬきさしならぬ用事があった。  彼の仕事は、当り屋だった。 [#改ページ]     2  当り屋は、車にぶつかって、ゆすり、たかるだけの単純な職業ではない。  出会いを求めて街を歩くことから始まる。新たないかがわしき出会いを求めて、人と車とその両方に。 「出会いを大切に」——当り屋の初心は、すべて、ここから始まる。  いかがわしい臭《にお》いのするところには、たとえその身が焦《こ》がれようとも、出むいていくことを嫌《いと》わない。  車と出会う前に、あまたの人々と出会っておかなければならない。  ホンモノとニセモノを見極める嗅覚《きゆうかく》を持たなくてはならないのだ。  ホンモノとは金のある人間のことであり、ニセモノとは金のない人間のことである。瞬時でそれが識別できるか。当り屋生命は、文字通り、そこにかかっていた。  むろん、どんな車に当るか、当り屋の初心者は、この訓練から始めなければならない。  曲り角に身を潜めて、向うからやってくる車に自らを当てる。  ブルーバードであるとか、サニーとか、シビックとかいった、年収一千万以下、底知れぬ小市民の乗る車などに当っても仕様がない。  ふんだくれる金は知れている。  外車が理想だが、それが見当らぬ時は、せめてプレジデントとかセンチュリーとか、とても小さな路地に入って行くとは思えない車に当る。  このくらいのことは、素人《しろうと》でもわかる。  難しいのは、その先だ。  近頃《ちかごろ》は、ハンバーガー屋でバイトをしながら、生活費をきりつめて外車を買うような類《たぐ》いの人間が増えてきている。  だから当り屋も難しくなった。  外車だ! と思って安心して、ぶつかって行くと、なんのことはない、フダンは新聞配達だったりして、当り損になることがある。  圭一郎は、同業者でそういう目に会った、という話を聞くたびに、身の毛のよだつ思いがする。  運転をしている奴《やつ》は気楽だが、当り屋は命がけである。  命はひとつしかない。  失敗しないまでも、致命傷のケガは、ぜひとも、避けなければならない。  当り屋が最も忌《い》み嫌《きら》う言葉は、「当って砕けろ!」なのである。  回復に五年もかかっているようでは、あがったりだ。  全治一ケ月と診断されるぐらいのがよい。それで一年は食える。一年に一度、大きな仕事をして、後は時折、車にかする。これは、とれる時だけ金を取る。深追いはしない。そこから足がつく。  とにかく、当り屋にとっては、金をとる時も、当る時も、無理が一番良くない。  一度失敗すれば、元も子もない仕事である。  だから当る瞬間まで、絶対に目をつぶってはならない。当り屋の鉄則である。  見開かれた眼《まなこ》で何を見るか。  それが、さきほどのホンモノとニセモノの区別である。  ここに当り屋の技術の良し悪しのすべてがかかっていると言って過言ではない。  相当なスピードで近づいてくる外車の後部座席に、ひっくり返るのではないかと思われるぐらいにふんぞりかえっている人間の座り具合を見て、瞬時に判断する。  いや、瞬時とは、瞬《またた》くまにまに、である。瞬いてはいけない。瞬時以上の速度での判断が要求される。  ホンモノかニセモノか。  金の|あるなし《ヽヽヽヽ》を。とれるのかとれないのか。  金が無い、ふんぞりかえっているだけだ、そう思ったら、咄嗟《とつさ》に身をひき、 「どうもすいません」  の、ひと言を、言ってやるぐらいの、心の広さも必要だ。  これは|イケルゾ《ヽヽヽヽ》と歓喜したら、その喜びは押し隠して、1で右足を踏みこみ、2でストップである、そして、3で身を引くようにしてころげる。  難しいのは、この2の部分である。  つまり、全く当っていないことがわかれば、警察での事情聴取が厄介《やつかい》だ。  かといって、二度と仕事ができなくなるほど、体当りをするわけにはいかない。  かさねがさね申し上げるが、全治一ケ月、これが当り屋の理想である。  おそらく、当り屋の反射神経たるや、一流どころは、一流のスポーツ選手と肩を並べるほどである。  赤木圭一郎は、一流であった。  それも、超のつくほどの当り屋であった。反射神経も人を見る目も。  日本という国で、どういった人間が金を本当に持っているのかを、知りつくしていた。  大会社の取締役よりもいかがわしい商売に手を染めている連中なのである。  大東亜文化圏創造社の社長などもその一人かもしれない。  万がひとつにではあるが、そんな人間とお近づきになること、これが「出会いを大切に」という言葉の持つ本来の意味である。 [#改ページ]     3 「はい。大東亜文化圏創造社でございます」  圭一郎の予想を裏切って、電話には女がでてきた。 「社長さん、いますか?」  ひとまず、会社の大きさを知ろうと、社長と言ってはみたが、 「しばらくお待ち下さい、秘書室に問い合せてみます」  そう言われたきり、しばらく、女の声がとぎれたままで、漸《ようや》く現われた女の声は、 「社長は、ただ今外出しております」  不在を伝えるものであった。  それにしても、この電話の対応ぶりはどうだろう、大会社並みである。  もしかすれば、とてつもなく大がかりな組織で「白い実」を売りさばいていたりするのだろうか。俺《おれ》の仕事には、ちと荷がカチすぎたか。  と、勝手に巡る思いも電話越し、白い実のことに少々さぐりを入れたところで、こちらの身は安全に違いないと、好奇心|溢《あふ》るるがまま、圭一郎と女との問答は続いた。 「社長さん、どこへ行ってるんですか?」 「申し訳ございません、おたくさまのお名前と御用件をおっしゃっていただけませんでしょうか」 「あの……青木といいます」 「青木ナニサマでいらっしゃいますか?」 「青木圭三です」  咄嗟《とつさ》に、本名とは、ほど遠い名前を言ったつもりなのだが、赤木圭一郎の本名と、どれほどの違いがあるだろう。ひるんだ隙《すき》に、 「御用件をお願いします」  という女の声がすべりこんできた。  圭一郎、やや、たじろぐものの、そこは超一流の当り屋である。 「白い実を欲しいんです」 「は?」 「雑誌で見たんですが、子供の時間に戻《もど》れるという、あれです」 「少々、お待ち下さい……」  社長は不在なはずなのに、用件を取り継ごうとしている。  圭一郎は、待っている間、女が受話器を手で押えて、すぐ近くの人間とでも話しているのではないか。そんな気がし続けた。  こればかりは確証がない。  このいかがわしさも、圭一郎は、よしとした。  改めて出てきた時の女の声は少し低くなっていた。 「青木圭三様でいらっしゃいましたね、そちら様の御都合の良い時間と場所とを御指定下さい。こちらから伺いますので……」 「ではとりあえず、場外馬券売場の入口で。かえって人目につかなくてよいと思います」 「それは妙案です、……日時は?」 「次の日曜日の第10レースが終ったら、その入口に立っています。目印は……そうだ、その白い実を、社長さんの車にでも積んできてもらえませんか」 「よろしゅうございます」 「社長さんの車の車種を教えて下さい。目印にしますから」 「ちょっとお待ち下さい」  再び受話器を手で押えた。  さらに女の声は低くなって返ってきた。 「黒塗りのベンツ56年型です。そちら様の御車は?」  ためらわず、圭一郎は答えた。 「リンカーン・コンチネンタルです」  受話器をおいて圭一郎、してやったりとほくそえむ。そのほくそえむ受話器の向うで、声の主の女もまた、ゆったりと、紫色の煙りをはいていた。 [#改ページ]     4  歩行者天国といって、当り屋にとっては、なんとも言いようのない街があった。  車に当ろうにもなにも、肝心カナメの車の方が一台も見当らないのであるから、歩行者天国とは、まさに当り屋地獄であった。  一流の当り屋ならずとも、並の当り屋が考えても、歩行者天国に足を運ぶということが、どれほど無駄《むだ》なことであるかはわかる。  しかし、赤木圭一郎は、超一流の当り屋であった。  超一流の当り屋は目のつけどころが違う。  天国のソバには、必ず背中合せの地獄がある。  そう、ふんだのである。  歩行者天国の目と鼻の先には、歩行者地獄があるだろう。  歩行者地獄。それはまさに当り屋にとっての天国に違いあるまい。  かくて、赤木圭一郎は、自《おの》ずと進んで地獄をさまよい歩かんとする、当り屋のオルフェウスと化したのである。そしてむろん、オルフェは地獄を見つけた。  日曜日の場外馬券売場、そこはまさに歩行者地獄であった。  歩行者天国からしめ出された車と人が、路地裏へ路地裏へとまわり、やがて、最後のガードをくぐる、そこが地獄の門に当るのだが、ガードをくぐると必ずといって、場外馬券売場があるものだ。  工務店のおやじ、つっかけのオバサン、蒼白《あおじろ》き大学院生、赤いパーマの姉ちゃん、ついでに両替をする女の黄色い声、——と色とりどりの大変な賑《にぎ》わいである。  賑わうはずで、道幅は三メートルしかない。  そこでまた露店を出して、トランジスタラジオを売る。競馬必勝法の本を売る。当るもハッケ当らぬもハッケの好運メダルを売る。ソフトクリームまで売っている。  レースが始まれば、そこが道路であることなどは忘れて、じいっと一台のラジオを囲んで、数十人の人間が、たむろする。そんな、たむろが、延々とつながる。  そこが、歩行者天国であれば、嬉《うれ》しき哉《かな》日曜楽しき哉競馬なのだが、実はこの人間達が、ほぼ表通りの天国にはいられずと決めこんでいる輩《やから》、というより、もともと天国が肌《はだ》に合わず、さっそうと走るサラブレッドに地獄を見るのを生き甲斐《がい》としている面々。  次第にそこは、表通りの歩行者天国とは、好対照の歩行者地獄の色を呈してくる。  こうなると、その裏通りは、歩こうなどと考える人間が間違いだということになる。  白い競馬の新聞を片手に、赤い色鉛筆を耳にはさんだ邪鬼どもが、目を光らせて、ラジオに耳をそばだてて、うろうろとするところである。  もう、これを聞くだけで息苦しくなりそうなものを、そこへ歩行者天国からしめだされた自動車までが来る、来る、くる、くる、めまいがするほど来るのである。  ガードマンが十数人、交通整理に当ってはいるが、そんなことは知ったこっちゃあない。  そんなことが知ったことなら、そこは地獄ではない。  みんなニコニコ列を作って、明るく正しく馬券を買える神経なら、歩行者天国でハンバーガーが食える。  ふてえ奴《やつ》になると、はずれた馬券で見知らぬ人間の頭をはたいている。  喧嘩《けんか》になる。なればなったで、ラジオの実況が聞えねえじゃあねえか! なんだ喧嘩売る気か! おおともさ! と、また喧嘩がふくらむ。喧嘩をしながらも、競馬の実況だけは聞いている。だから喧嘩に勝った鬼が、競馬で負けて泣いていたりする。鬼の目にも涙とはこのこと。そんな犇《ひし》めく邪鬼の中に自動車は突入してくる。人間が歩く速度よりも、遅いほどにである。  赤木圭一郎は、まさしく、そこに目をつけたのである。  これはいい。この歩くほどの自動車の速度ならば、ケガの仕様もあるまい。  もっともケガの仕様もないていどのケガでは、慰謝料も、そうそう高くはふんだくれない。  そこで視点の転換である。  アタル方の都合ばかりを考えず、アタラレル方の都合も、考えてやらなければいけない。  浮気帰りに女と乗っていたりする車だってある。  こういう車は、アタラレテ都合のいいものではない。 「困ったなあ……」 「見て下さいよ、この傷」 「あら、傷なんてないじゃない」 「じゃあ警察へ行きますか?」 「まあ、まあ、そうおっしゃらずに穏便に袖《そで》の下」  といった具合、アタル方には好都合、アタラレル身には、不都合という「出会いを大切に」の真髄のような出会い頭もある。  ただ浮気というのは、生意気なことに、貧乏人でもする。会社の部長クラスでは、当り屋にとっては貧乏人である。人間としてニセモノである。  部長が浮気で女をのせていた、そんな車に当っても、無い袖は振れぬ、というのは身にしみて知っている。  浮気心などをゆすっても金にはならない。  当り屋は芸術家ではない。  心を商売相手にするほど賤《いや》しくない。商売相手は物《ヽ》に限る。人に知られたくない物《ヽ》をのせている車に限る。  物と言えば聞えはよいが、別な読み方をすればブツ——法律で禁じられている類《たぐ》いの物、銃、刀剣、麻薬、根性、封建主義、男尊女卑など——このブツという奴をのせている車に当れば、ツルツルに剃《そ》りあげた運転手などが降りてきて、多少、オソロシイ目には会うけれども、いいですよ、わかりましたよ、サツに行きましょうよ旦那《だんな》、などと言いながら、おもむろに手帳を取り出し、車の番号などを控えると、さすがに向うも察しが良くて、ああ、こいつは、ゆすりたかりのてあいだ、金をやっとけば黙るだろうと、車の後ろから、ものわかりのいい和服を着た旦那が降りてくる。  女をのせていた会社の部長と違って、この旦那の服には袖がある。  ふってもふってもザクザクと金の湧《わ》きでる袖がある。  かくて赤木圭一郎は、歩行者地獄にブツ——子供の時間が、口いっぱいに広がるという白い実——を積んで来るはずの大東亜文化圏創造社の社長との出会いを心待ちにしていた。 [#改ページ]     5  桜の木の下に屍体《したい》が埋まっている話は洋の東西を問わず、詩人の口から口へと語り継がれてきた。  それに比べて、子供の体の中に時計が埋まっているなどという話は、今のところ耳にしたことがない。  全体、そんなことを言い出した大東亜文化圏創造社とは、果して何者か。  圭一郎が期待するごとく、黒塗りのベンツは56年型に乗って、これさっそうと歩行者地獄に現われるのだろうか。  ベンツの中に積みこまれてくる白い実とは、確かに|あれ《ヽヽ》なのだろうか。  LSDとかシロサイビンとかメスカリンとかいった、|あれ《ヽヽ》なのだろうか。  あるいは、DMT、MDA、ペヨーテ、DOET、DOM、マリファナ、ハッシッシと、これだけ並べれば、その積みこまれた白い実の正体は当りそうなものだが、いかがなものだろうか。  生憎《あいにく》と、はずれである。  実は同業者である。  大東亜文化圏創造社とは、赤木圭一郎の同業者なのである。  たったひとりの当り屋の会社だったのである。大会社に見せかけようと、じいっと受話器を押え続けていた声の主の女、それこそが当り屋業界の花一輪、粕羽聖子《かすばせいこ》なのである。  今、まさに当り屋が当り屋にぶつかろうとしていたわけである。  共に相手が当り屋とは知らず、片や、ベンツを呼び出して、これはしめたと思い、片や女当り屋は、リンカーンをうまい具合におびきよせたつもりでいる。  これはどこか、猛スピードで正面から突っこみ、先に逃げた方の車が負けだ、というチキンゲームに似ている。  ただ当り合うのは車ではない。  生身の男と女の当り屋だということになる。  こうした当り屋同士の共食いが起るのは、当り屋という業界が、横のつながりを持たぬ未成熟な業界だからである。  当り屋業界は、中心のない世界であった。  すべての当り屋が周辺であった。そこには正統派というものは見当らず、すべてが異端であった。  強姦《ごうかん》して絞殺した挙句に必ず、女陰に赤い薔薇《ばら》を差し込んで犯罪を完結させるような「こうあらねばならない」という犯罪の美学を持ち合せていなかった。  当る相手があっての当り屋なのである。  確かに、赤木圭一郎のように「1で右足を踏みこみ、2でストップ、3で身をひくようにして転げる、それが超一流の当り屋である」と豪語して、さも正統的当り屋をふるまう者もあるが、この粕羽聖子のように、ハナから当り屋に正統派などあるものか、柳に風である。その場に合せて、のらりくらりとやるのが一番だ。第一、金に困って、当り屋をやるのでは面白《おもしろ》くもなんともない、「ハングリーこそが、当り屋の王者を作る」などというむし暑い考え方は、たくさんである。ふっと、ある日、当りたくなるから当るのだ。  こんな考えで粕羽聖子は、時々当っているのである。  赤木圭一郎が、「状況判断」というものを当り屋という職業の外的な存在として捉《とら》え、当り屋を体験することで「状況判断」という観念が「金銭」として実現するのだ、という考え方であるのに対して、柳に風の粕羽聖子は、当り屋そのものの中に、「状況判断」はすでに内包されているものだという考え方である。 「状況判断」こそ当り屋の本質であって、「状況判断」を享楽《きようらく》するということ自体が当り屋という存在なのだ。  などと、わかったようなわからないような考え方をしているかさえ、わからないのが粕羽聖子という女当り屋であった。  粕羽聖子は、過去のある女だった。  カスバに「カ」の字、  セイコに「コ」の字、  合せてカコのある女であった。  いつも、カ・コに、はさまれて生きていた。  その彼女を、はさみつけていた過去の正体——彼女には、少年時代があった。 [#改ページ]     6  少年時代を持った女とはいかなるものか。  男娼《だんしよう》、おかま、ゲイ、陰間《かげま》、ホモ、天使、両性具有者、重量上げ選手と呼び名は違うが、実体はすべて同じである。  粕羽聖子は、断じて、こういったタグイのものではない。  聖子は、華やぎ賑《にぎ》わいだ麗《うるわ》しき乙女の時代を知るばかりであった。  それが、いつからか、自分は二十年かそこら前、少女であったと同時に、少年ではなかったかと思うようになった。  決まって朝、歯を磨《みが》く時に、ふとそう思ってしまうのである。  右手の小指に歯みがき粉をのせると、聖子には、あるはずもない、自分の少年時代の思い出が、まざまざと甦《よみが》えるのである。  いつの日からか、聖子は歯ブラシを使うのはやめていた。  右手の小指が歯ブラシになっている。  たっぷりと歯みがき粉を小指にのせて、前歯と舌の先を使い、五、六分もかけ、ゆっくりとなめていく。  みがくのではない、なめるのである。  幼い子供が、よく、白雪姫は、いちごの味がする、ミッキー・マウスはメロン・ソーダの味がする、と言いながら粉末ジュースを練って固めたような歯みがき粉をなめる。  その癖が直りきらぬまま大人になって、サンスターは、はっかの香り、クリニカサンスターは病院の臭《にお》い、デンターライオンは潮の香り、エチケットライオンは礼儀作法の味がする、と、相変らず、なめつづけているマザコンの銀行員がいる。  聖子はそうではない。  幼い頃《ころ》からの癖ではない。  乳離れに失敗した銀行員ではない。  初潮など、とうの昔に始まって、三面鏡の前に立てば嬉《うれ》し恥ずかしで、放っておいても口紅に手を伸ばしたくなる、そんな年頃に始まった癖なのである。  聖子は、美少女であった。  美少女と口紅というのは、世間が思っているほど仲むつまじくはない。かえっておりあいのつきにくい間柄《あいだがら》である。  どちらも気位が高すぎる。  お互いに相手の力などを借りずとも、男は私の方をふりむくに決まっているわ、フン、と決めこんでいるからであり、また現実もそうである。  現実とは美少女のためにあると言ってよい。  万にひとつ、美少女の方が、周囲の声と好奇心に負けて、口紅を手にしてみたところで、するりと、口紅がその手から逃げて思うように唇《くちびる》にのらない。  だいなしになる、さまにならない、うまくいかない、化粧なんてしない方が美しいの、私は。  そういう結論になる。  かくて美少女は、口紅をめったにその手にせぬまま、萌《も》ゆる乙女の野辺を過す。  過信ではない。  美しい娘の唇は十分に赤いからである。  ところが、いつまでも、いつまでもこの娘は口紅をささないでいるのだな、と思っていると、突然、ある日、口紅をさし始める。  そして驚くほど性急に老いていく。  聖子も、その美少女の例に漏れず、なかなか自分の唇を、口紅に許そうとはしなかった。  聖子は、口紅の代りに歯みがき粉をなめたのである。  なにも、わざわざ歯みがき粉をなめずともよさそうなものだが、少女というのは、口さびしい年頃である。  若い女の子が、甘いものを欲しがるのも口紅をつけたがるのもすべてそこからきている。  自分の唇を意識し始める年頃というのは必ず、自分から父親を遠ざける年頃でもある。  父親を遠ざけるがゆえに、自《おの》ずと唇が淋《さび》しくなり、口紅を欲しがったりする。  それは、さらに成長して男根への憧《あこが》れ、思いもよらぬ男根崇拝にまで発展する場合がある。  確かに聖子は、自分に幾度、男の根っこが生えていればよかったのに、と思ったか知れないのである。 「自分が、これで男であれば、どれほど、素晴らしいだろう」  と女であるからこそ、美しいという理由だけで、ちやほやされていることは棚《たな》に上げて、そう思いこんでしまう。  悪女というのは、殆《ほと》んど例に漏れず、これである。  必ずといっていいくらい、悪女は、美しさと賢さとをとりちがえる。もしも、花であれば、美しい花のことを、賢い花とは呼ばないくらいわかりそうなものを。  美しさと男根へのコンプレックス、これが東は則天武后《そくてんぶこう》から西はルクレチア・ボルジアまで、悪女という馬車が、歴史の王道に残した両輪の轍《てつ》である。  どちらの車輪が欠けても、悪女は歴史を疾駆することができなかっただろう。  聖子は、いまなお、悪女にふさわしかった。  なにより小指に、歯みがき粉をのせたままなのだから。  そうっと唇を小指に押しあてると、聖子には、いつも奇妙な風景が見えてくる、奇怪な音が聞えてくる。いや聖子に言わせれば、|音が見え《ヽヽヽヽ》、|色が聞え《ヽヽヽヽ》てくるのである。 [#改ページ]     7  麻薬は飼い馴《な》らすことができる。  はじめは、麻薬そのものの言いなりになって、空を飛んだり、神を発見したりするのだが、やがて、薬を唇《くちびる》にあてるだけで、いつも同じ精神状態を導くことができる——  という話を、聖子は聞いたことがあった。  それではないかしら。  と思っていた、この奇妙な風景は。  歯みがき粉ごときが、麻薬の働きをするかどうか、というのも考えものではあるが、とりあえず、やったことのある人間がいないだろうから、そればかりは、わからないのである。  聖子は、毎日のように歯みがき粉をなめて、せっせとなめていると、いつも、カラ———ン、カラ———ンと甲高い教会の鐘のような、清く澄み渡った音が|見えてくる《ヽヽヽヽヽ》。  やがて、体がふわっと軽くなった気がするころに、周りのものが紫色がかり、自分の体の毛穴のひとつひとつが目立ってくる。  クリニカサンスターよりも、エチケットライオンを使った時の方が、毛穴が広がっていく感じはより大きい。  しばし、ぼーっと目の前に霞《かすみ》がかかり、しかと、それに目を凝らすと、いよいよおかしなことが起り始める。  いきなり、目の前にある椅子《いす》であるとか、タンスであるとかが、バアッと燃え始めたりするのである。  とくにデンターライオンを使うと、必ずこの火事がおこる。  指をはじくと、指そのものが、部屋の中をパチンと飛んでいく。  パチンが見えるのである。  電話とて同じである。  ベルが鳴ると、ジリリリリリリリリリリリリリリ……と「リ」が波のような形をして、部屋中を走りまわっているのが見えてくる。  音が見えてくる感覚を催させるのは、なんといってもザクトライオンである。  距離の感覚も、時間とまざっていよいよおかしい。  ほんの近くのドアまで歩くのだけれども、何年も、何十年もかかる気がする。  およそ目に見えるものの輪郭は、くにゃりくにゃりとして、四角くて平らなはずの天井が、地球儀の半分のように、たわみ、たれこめてくるのである。  色はといえば、ア———カとか、ア———オという風に|聞えてくる《ヽヽヽヽヽ》。音が見え、色が聞えるのである。  じきに金縛りにあったように、体がこわばり、酸素を取りすぎた若い女みたいに呼吸をするのがたまらなくなる。ふっと鏡を覗《のぞ》くと、頬《ほお》の肉が急激にそぎ落ちていき、さあっと骨だけになり、首から上が頭蓋骨《ずがいこつ》になる。おそろしさのあまり、阿鼻叫喚《あびきようかん》の叫び声をあげるものの、その声がまた色彩と光になる。  はじめの頃《ころ》、聖子は、自分はもう狂ってしまったんだわ、と、ここら辺りで耐えられなくなり、そのはずみで小指を唇から離していた。  すると、遠浅の浜辺から、さあっと波でも引いていくようにして、めらめらと燃えていた家具は元通りに、くにゃりとしていた周りの物は、はっきりとした直線に戻《もど》り、音はやはり聞えるものであり、色はやはり見えるものである、という、常識と言われれば、はいそうです、としか言いようのない、なにひとつ変りません、なにもありませんでした、なにも起らなかったんです、といった具合になる。  原爆が落ちた直後の町から、突然一目散に、今の東京の街にやってきたなら、きっとそんな心持ちだろう。  それにしても本当に原爆など落ちたのだろうか。  今の東京の街にいると、そんな気にさえなってくる。  それほど、戻ってきた平穏は確かに見てきたはずの地獄絵を忘れさせる力がある。  だが戦場の最前線で写真を撮り続けたカメラマンは、さらに前線へ前線へと進む気にはなるが、間違っても、ひき返して、普通の写真を撮ろうという気などおこらなくなる。  大量虐殺の写真に取り憑《つ》かれると、女のヌードなど、こんにゃくに見える。  粕羽聖子もそうだった。  その歯みがき粉で覚えた、音を見て、色を聞く世界に踏み入ってからというもの、密林をかきわけかきわけ、その世界の先へ先へと進もうと思いこそすれ、ただの当り屋|稼業《かぎよう》に精を出そうなどという気は、さらさらなくなった。  粕羽聖子が、自分に少年時代があった、と思いこむようになったのも、すべて、このゆえである。  この、音を見て色を聞く、深く険しく味わい深い世界の果てに、粕羽聖子は、少年時代を見つけたのである。  それは突然やってきた。  八月の朝であった。  いつもながらに、歯みがき粉を手に今日はクリニカにしようか、デンターにしようか、などと、神聖な選択のもと、久しぶりにザクトを唇にあてた。  カラ———ンという鐘の音が見え、ムラサ———キと色が聞えてきた。  ここまでは、いつもと同じであった。  突如、粕羽聖子は、七〇〇〇度近い暑さを感じた。  暑さのあまり、白いブラウスを、その女の力でひきちぎると、ふくよかな乳房を、左の手のひらでつかんだ。乳房の下では心臓が鼓動していた。  ふと、粕羽聖子は、自分の体の中に心臓が、ふたつあることに気がついたのである。  ひとつは、いつものようにゆっくり、ゆっくりと、とくっ、とくっと鼓動しているのだが、もうひとつの方の心臓が、とくとっとっとっとっとっとっとっと、わずかの間に、数千回もの速さで、体の中を走り抜けて行ったのである。 「おい、こいつが、おじぎすることを知っているか?」  とわからぬことをいいながら。  粕羽聖子は、その、もうひとつの心臓に話しかけた。 「誰《だれ》なの?」  もうひとつの心臓は、答えなかった。  答える代りに、聖子の両方の耳から血が流れ出してきた。喉《のど》から肩からざあざあと、血が溢《あふ》れ出てきた。  そしてゆっくりと、もうひとつの心臓の声が、聖子の目の前に現われた。 「八月だ。俺《おれ》は粕羽八月。君の少年時代だ」  粕羽聖子は、八月の太陽が、七〇〇〇度の竈《かまど》の中で、自分の少年時代を、燃えたぎる少年を、体に生みつけたことを知った。 [#改ページ]     8  当り屋が当り屋に当るつもりでいる日曜日。まさに、当日という言葉は、この日のためにあるような朝の空は、万国旗を吊《つる》すのにふさわしい紺碧《こんぺき》の色をしていた。  赤木圭一郎の部屋の軒先には、てるてる坊主《ぼうず》が、六十ほど吊されてあった。  てるてる坊主といえども、これだけ雁首《がんくび》を揃《そろ》えれば、また壮観なもので、ちょっとしたヤクザの出入り、義兄弟の盃《さかずき》という気がしてくる。気軽に、てる坊ブラザーズなどと呼んでみたくもなる。 「千羽鶴を折って下さい」  と街角で、うつろな目をして近寄ってくる反戦主義者の気が知れぬ、たまには、 「てるてる坊主の首を切って下さい」  と、気のきいたことが言えないものか……などと、圭一郎、できるだけ、話題の関心を、今日これからのことから、横すべりさせ、とりとめもないことを考えて気を静めている。  久しぶりの大仕事を控えて、いささか心は高ぶっている。  その圭一郎を横目に、てるてる坊主達、今朝は青天白日、これぞまさに、晴れてお役御免、首も切られずに、すんでのところでにんまりしていた。  ところが圭一郎、やおら、はさみを持ち出すや、軒先に勢揃いしているてるてる坊主の首を、片っぱしから、ちょんちょん、ちょんとしなだれた乙女のごとく切り始める。 「当る、当らない、当る、当らない……」  花占い転じて坊主占い、となんだか話は心細くなってきた。  しかし、これもすべて、大仕事の当日の朝、緊張がなせる業につきいたしかたない、と片付けられるのだから、てるてる坊主は、晴れにはしてやる、首はキラレル、まったくいい所なしだ。  兎《と》に角《かく》、赤木圭一郎ほどに周到で正統派の中の正統派を自負する当り屋でさえ、|思わぬできごと《ヽヽヽヽヽヽヽ》というのがおそろしい。  必要な情報を、ふんだんに集めてなおアクシデントはある。  いざ当る段になってにわかに雨降り出し、てめえの方でスリップ、外車が目の前を素通り、大きな獲物《えもの》に当り損なう、などということはざらである。  それでもまあ、ひき殺されずにすんでよかった、命あってのものだねなどと、あきらめきれるような見上げた根性では、とても当り屋は、やってはいられない。  ハングリーが信条である。  正統的な当り屋は、見上げた根性はいらない、見下げ果てた、腹をすかした根性だけでよい。  とはいえ、思わぬことも、悪い方ばかりに働くとも限らない。  この運命の女神がどちらに転ぶかわからないというのが、実にまた今日これからの舞台にふさわしかった。  圭一郎が選んだ歩行者地獄——  場外馬券売場にふさわしかった。  馬の血統から戦績、加えて近況、あるいは、当日の馬の色つやまで、くさぐさの情報を蒐集《しゆうしゆう》してなお、雨が降った重馬場《おもばば》に、馬の脚がとられてみたり、なんでもない日に馬が骨折をしたりする。  時に、馬券を買いにいく途中、五反田辺りで電車が止り、その間にレースは無事終了、こういう時に限って、買おうと思った馬券が当ったりする。それが、また万馬券だったりする。五反田をふんで悔しがる、とはこのこと。  競馬場の中と言わず外と言わず、そうした偶発事が起ることを覚悟してなお、場外馬券売場は、毅然《きぜん》としてそこにあった。  なあに、偶然も状況判断のひとつだと、圭一郎は思っていた。  まさか自分ほど優秀で破綻《はたん》のない当り屋が思い描けぬような事態は、まず起らないだろう。  起るとしたら、それこそ相手に心臓がふたつついてございます、というような場合くらいだ、とタカをくくっていた。  しかし、場合が場合であった。  圭一郎が、今日これから当る相手には、確かに心臓がふたつついていたのだ。  しかも女当り屋という同業者、「当りたいから当るのよ」と柳に風、なかば、やけっぱち、なかば、それがライフスタイルと信じている女。  もっとも、歯みがき粉さえなめなければ、粕羽聖子は、上玉の女当り屋なのである。  ところが、ひとたび朝に目覚めて、歯みがき粉を唇《くちびる》に塗りつけるや、音は目から入り、十二色の色すべてを耳で聞きわけ、心臓をふたつもち、なかんずく少年時代まで持ってしまう女なのである。  これだけの女が、見合いの相手に用意されていたとすれば、誰《だれ》しも、  逃げたい!  この一心だろう。  もしも、圭一郎が、この粕羽聖子を思い描くことができたならば……  とは言いながら、圭一郎とて超一流の当り屋である。  すでに十二分に胸騒ぎは感じていた。  それも三日ほど前から。  確かに胸騒ぎの木曜日があったのである。 [#改ページ]     9  胸騒ぎの木曜日。  圭一郎は、この日曜日の大仕事を前に、あれこれ、どうやったものかと思い悩んで、ふらりと、都会の西方へでむき、川の風に当った。  心の救いは、いつも西にあるのだ、と圭一郎は決めていた。  川のほとりに、凧《たこ》をあげている男がいた。  これから夏へ入っていこうというこの季節に凧をあげているという奇妙さもあったが、なによりも凧のあがりかたが目についた。  凧糸が、風も無いのに、青い空に向って、まさに真上に、突き刺さるように、ぴいーんと伸びている。  重力が支配するこの世界で、真上へ向って延々と凧糸が張りつめている。このことでさえただ事でないのに、その凧糸の先は、ジャックと豆の木か、ゼウスの光の糸か、はたまた釈迦《しやか》の蜘蛛《くも》の糸、とばかりに天に向って吸いこまれている。  せめて、点なりとも凧らしき姿形が、凧糸の先に見えれば、圭一郎も、どうにかほっとするところなのだが、どうにも見えない。皆目見えない。  どう見たところで、空の中、奥深いところへと凧の姿は消えてしまっている。  こうなると、果してあげているものは、凧であるかどうかも疑わしい。  いや凧に決まっているはずなのだが、なにか胸騒ぎがする。  何故《なぜ》、こんなことが気にかかるのか、圭一郎、説明とてつかぬままに、お江戸|風情《ふぜい》の川風の心地良さに、思わず凧男に話しかけた。 「あの先には凧があるんですよね」 「ある」  仏頂面《ぶつちようづら》をして凧男が答えた。  圭一郎はそれまで、胸騒ぎだけで凧男に悪意を持とう、などという気はさらさらなかった。  心は一変、胸騒ぎが悪意まで引きずりこみ、騒乱罪覚悟で騒ぎ出した。  とたんに、この凧男が、巷間《こうかん》にはびこるあの理不尽に髭《ひげ》を伸ばした、インドインドした男に見えてきて、よせばいいのに、 「でも凧が見えない」  と、圭一郎、絡《から》みつく。  凧男に、圭一郎のその邪《よこしま》な意図《イト》は絡むものの、そこはさすがに凧男、イトの絡みにはいたって手慣れた手つきで、さらっとほどく。 「見えなくても手応《てごた》えがある」  さらに絡む圭一郎のイト。 「手応えはあっても、なにが上っているかわからないだろう。おろしてみたら凧じゃなくて、下駄《げた》だったりするかもしれない」  凧男、 「下駄はとばない」  とあっさりあしらう。執拗《しつよう》に圭一郎、 「でも、人間を簀子《すのこ》に張りつけて、飛ばすような凧だってあるだろう」 「このくらいの風と、私ひとりの力では無理だ。人間を飛ばすには、海の風と五人の男の力と信頼とがいると、東方見聞録で、マルコ・ポーロは言っている」 「自信持って言うね」 「自信ある」  なまじ、凧男の自信が嘘《うそ》に聞えないから圭一郎、少々|臆《おく》するものの、ひるまず、 「でも凧の姿が、見えないと、少しは不安だろう」 「凧の通《ツウ》は、夜中、凧を上げることもある、姿なんか見えなくてもいいんだ。凧は、あがりすぎて見えなくてもいいし、全然あがらなくてもいい。どれくらいあがっているかどうかなど、どうでもいい。この手応えだ。天と綱引きをやっている、この手応えだ。くいっくいっという、この手応えをよすがに、自分は天と互角にひっぱりあっているのがわかる。そればかりじゃない。このくいっ、くいっを感じるとき、わしは空にいるんだ。見えるところと見えないところの端境に。わしが凧なんだ。凧が見えるはずがない。わしが凧なんだから」 「相当、凧に入れこんでいるんだな」 「入れこんでる」 「しかし、なんのために、こんなものをあげているんだ、と時には空《むな》しくなるだろう」 「いつも空しい、空にいるんだから」  この禅問答でやめておけば、圭一郎の胸さわぎの木曜日は、心あたりの木曜日ぐらいですんだものの、なお絡みつく圭一郎、 「でも、あれだなあ。空にいるとはいいながら、実際は、あんた、地面にいるじゃないか」  と核心にフレタつもりが、仏頂面の凧男、初めて相好をくずし、釈迦気取り、 「そこが畜生のあさましさ、よく聞きな若いの。お前さんも一度くらいは凧をあげたことがあるだろう。で、凧がうまく上っている時はいい。うきうきだ。ところが、なにかの拍子で凧がスーッと落ちはじめると、もういけない、あー、なんとかしよう、おー、まずい、とお前大騒ぎをするだろう。なにかまるで自分が、バランスを失って空から落ちるような気分になるだろう」 「…………」  そういえば、と圭一郎、心の中で心当り、 「あの、あわてふためく様が、なにより、それまで空にいた証拠だ。地面にどっしりと足をつけている人間が、たかが凧、バランスを失ったぐらいで、自分の体が落ちるほどに騒ぐわけがない。ところで、お前さん、胸騒ぎしてるな」 「…………」  圭一郎、なんだこいつは? と面食らう。花のお江戸の時代なら「おぬし、なにやつ」と見得をきるところ、おかまいなしに凧男、 「わしが見えないくらい、凧をあげている時に、なんだかんだと言ってくる奴《やつ》の先き行きが明るかった例《ため》しはない。わしの凧上げが気にかかるのは、身に覚えがあるからだ。手応えだけが頼りで、なにをやっているのかわからない、なにをあげているのかわからない、そういうやつが俺《おれ》に絡んでくる」  圭一郎、鼻に手をやりながら、 「俺は明るい。今度の日曜日には大金が入る」 「大方、車にでも当って、金をせしめようなんてケチな魂胆だろう。つまらない了簡《りようけん》をおこすんじゃない」  当るわ、当るわ、凧男のコトバ。いにしえの預言者もかくありなん、とばかり圭一郎の内側へ土足乱入、圭一郎、心の中では、もう、あたふたとしている。  辛《かろ》うじて平静さを保っているつもりが、もう空から一気に落ちてくる凧も同然、バランスはすでに失われている。 [#改ページ]     10  胸騒ぎの木曜日の続編は、いよいよ息もつまっていく。 「まあ、そう、あたふたせずに聞きなよ若いの」  凧男《たこおとこ》の面相、確かに釈迦《しやか》三十二相八十種好のひとつに相違なく、落ち着き払って、 「お前さんの心の凧糸は、しっかりこの手に握っちまった。手にとるようにわかるぜ。あがろうとしては汲々《きゆうきゆう》とする、おっと今度は急降下ってな。まあ、こうなると俺《おれ》はもう、お前の預言者だ。心が読める。ひとりものだ。ドクシン術ていうやつだ。ワハハ、面白《おもしろ》い。……預言者らしく昔話をしてやろうか。今から三千年もさかのぼるくせに、くだらない話だ。一頭の蝶《ちよう》が、ひとりの男に噛《か》みついた話だ。(『聊斎志異《りようさいしい》』にでも、のっていそうな話だが、調べても無駄《むだ》だ。抵抗はやめろ。わしの作り話だ)。蝶が人間に食いつくものかと思っているだろう。そこが畜生のあさましさ、よく聞きな若いの。蝶が、うろうろ、うろうろ、人のまわりを飛んでいるのは知っているだろう。  あの、うろうろが曲者《くせもの》、春です、のんびりして下さいと見せかけて、あれがテイサツ。蝶はいつも、その人間が、死んでいないか、そろそろ死にかけていないか、まだ生きているのか、ということだけが知りたくて、人のまわりをうろうろと、見て見ぬふりをしている。  もし、本当に、どこかへ行くあてがあるなら、あんな、ええころ加減の飛び方をするものか。一直線に飛んで行って、つつじの花の蜜《みつ》を好きなだけ吸いこんで、浮気をすませたら、恋女房のあやめの所へ、すっとんで帰るに決まっている。  蝶のうろうろという飛び方も、うろうろじゃない。本当はおろおろだ。こいつ生きているんじゃねえかって、おっかなびっくり、おろおろしながら飛んでいるってわけだ。  そして万にひとつ、墓場あたりを、おろおろと飛んでいて、死んじまった人間なんかに千載一遇、出会おうものなら、わが意を得たり、踏もうが蹴《け》ろうが、うんともすんとも言わないのをよいことに、その死骸《しがい》に食らいつくというわけだ。そこはほれ、お若いの、昆虫《こんちゆう》のあさましさ、蠅《はえ》や蛾《が》や蛆虫《うじむし》やらと考えることは蝶といえども少しも変らない。  時折、ぬーっと生きている人間を、死人と見間違って止ったりもする。『あらあたしに蝶がとまった』などと喜んでいる女がいるが、蝶の目ん玉にさえ、汚ねえ骸《むくろ》にうつっただけの話。ましてほんものの男がよりつくわけがない。……話が飛んだな。ま、そういうわけで蝶はいつも、人様に噛みつく機会を窺《うかが》っている。  少しでも死ぬ気配を見せようものなら、それ噛みつけ、とばかりにうろうろしている。  いまわの際《きわ》の床に、よくうろうろしている蝶なんかはそうだ。  それこそ三千年も前の昔から、蝶の心意気は変らない。人様の死体に、噛みつくことばかりを考えている。  蠅は、死んだ人間の臭《にお》いに群がり、蛆虫は、死人の肉に群がる、蝶は、死人の魂に群がるというわけだ。死んで腐りかけている魂を、つついて、噛んで、ほぐして、むさぼる。  オオムラサキに、ヒカゲチョウ、クロヒカゲ、憂愁《ゆうしゆう》夫人と呼ばれるベニヒカゲ、喪服を着こんだウラジャノメ、カラスアゲハにクモマベニヒカゲ、と、まあ蝶の中でも、うらさびしい名前のヒカゲモノ達ばかりが一団となって、三途《さんず》の河のあたりを、おろおろと、死骸を捜して、うろつきまわっていた、と思ってくれな。  三千年前の話だ、こればっかりは、わしの想像だ、なにもオオムラサキなんかじゃなくてもいいんだ」  三途の河は、三つある。ステュクス、レーテー、アケローンである。  中でも、その河の水を飲むとこの世のでき事を、奇麗さっぱり忘れてしまうという、数寄屋《すきや》橋でもかかっていそうな忘却の河がレーテーである。  そのレーテー(Lethe)とは、まさしく、ヒカゲチョウの学術上の属名である。  またアケローンで舟を渡して、黄泉《よみ》の国へ死者を運ぶ黄泉の国鉄職員カローン(Charon)は、オオムラサキの属名である。  冥土《めいど》の河岸を無数の蝶が飛び交っているという凧男の想像は、なまじ根拠があるだけにもうなにを言い出すか責任は持てない。 「聞いてるかい、若いの……そんな黄泉の国の蝶たちの中にまじって威風堂々と、オオミズアオがいた。  が、このオオミズアオこそ、まさに逆説の蝶、『蛾』だった。  オオミズアオは、蛾とはいえ、他のどんな蝶よりも美しい翅《はね》を持っていた。  翅が美しいばかりじゃない。その飛びゆく物腰とて、恬淡《てんたん》としてウラジャノメや、ヒカゲチョウのように慌《あわ》てふためいたところが、まったく見られない。  死骸に食いつこうなどという気持ちも、さらさらない。人間の魂に近づくために、おろおろと飛ぶなどということは、とりわけ一家の恥だとでも考えていた。  オオムラサキのように、人様のまわりを、おろおろと飛び回ってコビを売り、やれ郵便切手の絵柄《えがら》にしてもらいました、日本国家の象徴です、栄《は》えある国蝶でございます、という生活態度は、真平御免であった。  獲物《えもの》をあさり、花や人の傍を飛ぶのではない。飛ぶということ自体に蝶としてのほこりがあるのだ。  柳に風で構わない。  ある日ふっと、飛びたくなるから飛ぶのだ。  オオミズアオは、いつもそう思いながら悠々《ゆうゆう》と飛んでいた。  とりわけ月光の下で、忘却の河面《かわも》を飛ぶ翅の色は、淡く消え入らんばかりの青さを放った。その翅から、こぼれ落ちる鱗粉《りんぷん》は、ビードロの粉の乱れ飛ぶがごとくに反射しては、河の面《おもて》にやわらかく落ちた。  河は、月を映して光っているのか、オオミズアオのビードロの粉で、その一面を満々とたたえているのか、わからぬほど白銀《しろがね》の色してまばゆかった。  が、このオオミズアオの飛翔《ひしよう》は、どれほど美しくとも、所詮《しよせん》『蛾』の飛翔だった。逆説の飛翔にすぎなかった。  蝶という蝶が、魂を食うために飛ぶのだ、と公言してはばからぬ三途の河で、昼、夜の見境いもなく飛び狂うオオミズアオの飛びっぷりの良さに、ヒカゲチョウ達一般大蝶の非難が集中していった。 『オオミズアオ、お前だけが美しく飛び続けているのはおかしい。お前だって死体に噛みつくべきだ。人間の死んだ魂に口を汚すべきだ。ひとりいい格好しいするのは体によくない』  ヒカゲチョウの仲間達からはぐれていくオオミズアオを見て、竹馬の友クモマベニヒカゲは胸を痛めた。  クモマベニヒカゲは、子供《さなぎ》の時分からの親友の仲、オオミズアオと翅を並べて飛んだ仲であった。  どうだい一杯、と生ビールに誘ったついでに話を切り出した。 『どうだい最近は。仕事の方は順調か? ま、それはなによりだ。ところでなオオミズアオ……』  中小企業のオヤジが、態度の悪い従業員に、やめられちゃ困るけれども言うことだけは言っておかにゃあならん、という押しつけがましさ。 『死体に噛みつくことは、卑《いや》しいことじゃないぞオオミズアオ。お前がどうしてもって言うんなら、まあ、あれだが。うん?……死んだ人間の魂に噛みついてみろ。それっぱかりのことだ。それで皆んなは、お前を職場の仲間だと思うんだ。蝶の仲間だと思ってくれるんだ。たいしたことじゃない。指紋を押すようなもんだ、難しく考えるな、オヤジさんも病気だっていうじゃないか。うん? お前悔しくないのか? お前だけが、いつまでも、ガ——ッて呼ばれるんだぞ。ガ——ッて道路工事みたいに呼ばれて。それが、ちょっと噛みつくだけで、あっ! チョウ——ってカンフーみたいに呼ばれる。気持ちのいいもんだぞ。な、悪いことは言わん。噛みつけ、人間の死んだ魂に、噛みつけオオミズアオ!』  クモマベニヒカゲの度重なるススメにも、あらがって、オオミズアオは、月下ビードロの鱗粉にまみれてなおも飛び続けた。  いよいよ、ヒカゲチョウを始めとする蝶達は、オオミズアオにそっぽをむいた。  まずオオミズアオの見初《みそ》めた娘が、オオミズアオのもとから離れていった。サヨナラのことばもなく。  牡丹《ぼたん》の花の蜜《みつ》を運ぶ仕事からも解雇された。牡丹から百合《ゆり》、百合から桔梗《ききよう》、桔梗から水仙《すいせん》、水仙から洋式、転々と仕事を変えるたびに解雇された。恋をするたびに裏切られ、居を構えるたびに移り住んでいかねばならなかった。そして最後にクモマベニヒカゲが、オオミズアオの傍から離れていった。  恋が、仕事が、最愛なる友が、あまねく人生が、オオミズアオの飛翔に異端の烙印《らくいん》を捺《お》した。  そこまで堕《お》ちてみてハジメテ、オオミズアオは『飛ぶために飛ぶ』などということが、この世にあり得ないことに気がついた。  俺も噛まなくてはいけないか。やはり俺も死体に噛みつかなくてはいけないか。そうだ、ひと噛みすればいいではないか。それで俺の異端の烙印が、ぬぐえるというのなら、噛め、死んだ人間の魂にお前の口をあてろ!  どうだい? オオミズアオは、果して死体を噛んだと思うか? 若いの」 「…………」 「オオミズアオは噛んだ。そこが畜生のあさましさだ。しかし、死体の魂に噛みついたのじゃない。せめて、噛むならおどおどと、死体に噛みつくのはよそう、生きている人間の魂に噛みついてやろう。  オオミズアオは生きている人間に噛みついた。  生きた人間の指先にとまり、渾身《こんしん》の力をこめて噛んだ。  力一杯、オオミズアオの唇《くちびる》は、忘却の河の川辺で休んでいたひとりの男の右の手の小指に噛みついた。  オオミズアオに噛まれた男は男で吃驚《びつくり》した。  指先に心地よげにとまり、まさか、そんなことはするまいと思っていた美しい蝶が、やおら自分の小指の先に噛みついた。かと思うや小指の先に、ぐるぐるとうずまいている指紋を、するすると糸のように、ほどき始めたからだ。小指の指紋は、オオミズアオの六本の足に絡《から》みついた。絡みついた糸を、自らの体に巻きこむや、そのまま、ぐいぐいと真上へ上っていった。  オオミズアオが、高く空へと舞い上っていくにつれて、男の小指の指紋は、どんどんほぐれていった。あがるたびに、するすると。  するするほどけていくたびに、オオミズアオはあがっていった。  やがて一本の指の指紋のうずは、すべて天に吸いこまれていった。  同時に男は、その失った指紋のぶんだけ、自分のことを忘れてしまった。  そうこうしているうちに三百年がたった。それからまた一本また一本と中指にさしかかって、中指の指紋のうずが消えるころに、自分の名前と故郷を忘れた。故郷忘れるのに刃物はいらぬ、指紋のひとつも消せばよい。  ひとさし指まで来たころに、ちょうど世間じゃ、キリストが生まれた。  指紋が、ほぐれればほぐれるほど、そのほぐれたぶんだけ男は、どんどん自分のことを忘れていく。自分が誰《だれ》だか、わからなくなる。けれども長生きしているぶんだけ、世間のことはよく見える。オオミズアオはといえば、なおも容赦なく天翔《あまが》けるペガサスよりも、さらに上へ上へとあがっていった。  オオミズアオが、舞い上れば舞い上るほど、光の糸のように指紋が天につきささる。上るたびに指紋がほぐれ、ほぐれるたびに男は自分を忘れた。忘れ続けた。猛然と忘れた。  男が、ある日気がつくと三千年がたっていた。  キリストが生まれて、まもなく二千年になろうとしていた。  故郷に連らなる山の姿も、はじめてりんごの皮をむくことができた日のことも、教壇に押し倒した先公の名前も、指で数えた恋しい女の数も、するすると、ほどけていく指紋と一緒に忘れていった……。  見てみな若いの、わしの指紋を。すっかり失《な》くなっちまった。これが最後だ。この左手の小指にわずかにうず巻いている、この指紋が。七回り半の指紋がこの小指に残っているだけだ。けれども、この七回り半の指紋の先に、確かにオオミズアオの手応《てごた》えがあるんだ」 [#改ページ]     11  凧男《たこおとこ》の両手の指紋を見れば、つるりとのっぺりしていた——  フン、あんな話は童話だ。  よくいるのだ。  自分の体の傷を思わせぶりたっぷりに、美談にしてしまうヤツが。それだ、それに決っている。  と、圭一郎、胸騒ぎの木曜日におとしまえをつけようとするものの、思うにまかせず、胸騒ぎの木曜日は、日を増すにつれて、圭一郎の体の中で悪化していった。  金曜日には胸ばかりでなく、騒ぎは胃に転移した。胃騒ぎがおこった。  土曜日には肝臓騒ぎが始まり、そしてこの日曜日、大仕事を前にして、胸騒ぎは、圭一郎の脳にまで転移していった。  そんな脳騒ぎの日曜日——。  なにが指紋がないだ。そんなことに驚くかい。どうせ町内会の我慢比べかなにかで、あの凧男、指先を火傷《やけど》して指紋がなくなったのに違いない。  くだらない、冗談じゃない、そんなハナシにつきあっている暇があるか、こっちは今日これから車に当ろうって、気持ちを集中させていかなきゃならないのに、まったく、羊が一匹、羊が二匹、羊が三匹……ああ、集中できない。まったく、どうしたというのだ? 三日も前のことじゃないか、まだこだわっている、あんな凧男ごときの取るに足らない話に。なにが中指の指紋に故郷があるだ。中指にだって? ふーん、ここにか、故郷がね、お——い、あっ、いけない、凧男のペースにはまった。羊が一匹、羊が二匹、羊が三匹……だめだ。俺《おれ》は、何を気がかりに思っているんだ? 羊がいけないのかもしれない。羊が俺を弱気にさせているのかもしれない。子豚が一匹、子豚が二匹、子豚が三匹……ダメダ、ダメダ、子豚ではダメダ。  自信を取り戻《もど》すのだ。  俺は他《ほか》でもない、赤木圭一郎ではないか。今年でちょうど、当り屋十周年を迎える男ではないか。獲得賠償金、総額一億円を越える当り屋ではないか。虎《とら》が一匹、虎が二匹、虎が三匹……動物に頼るのがいけないのかもしれない。頼りは自分だけだ。圭一郎が一匹、圭一郎が二匹、圭一郎が三匹、圭一郎が……おい、どうしたんだ? 俺がこんなにも一杯いる、まったく、どうしたというんだ……。  かくて、気持ちが凝れば凝るほど、圭一郎の不安はいやまさる。  脳騒ぎの日曜日、騒ぎのおさまらぬままに、圭一郎、いつしか仕事場へ来ていた。  地獄の入口、場外馬券売場のガード下にまで、やってきていた。  黒いベンツ56年型の影が、その街角に現われるのを待ち続けて。 [#改ページ]     12  そこには東南アジアがあった。  道の臭《にお》い、壁の汚れ、ゴミも、ゴミに咲く女も、裏返しにころがったサンダル、裏返しにされたホモ、つぶれかかった食堂とそこに働く女の鼻、崩れかかった塀《へい》と信頼、大口を開けて人を呼びこむ電器屋のオヤジの顔つき歯並びにいたるまで、圭一郎は、ここに東南アジアの血と汗と涙の結晶があると思っていた。  いかがわしいもの、おしなべて、ギュウギュウに押しこめられている。  ないのは、戦争と正義くらい。  それら、ぎょうさんあって、あんじょうとりしまれまへんなあといった、関西風アジアのいかがわしさがパンパンに張りつめて、身動きがとれなくなると、あちらこちらで花火が爆《は》ぜるように、パチッ、パチッと賑《にぎ》わいだ声を出したり、小刻みに激しい動きをしている町。  動き続けているくせに十年たとうが、五億年たとうが少しも変らない。もともと変る気がない。  動き続けることで成長を止めている、年をとりそうになると慌《あわ》てて別の所へ行って若返る、そんなことを繰り返して、いつまでもアジアなのである。ガムシャラにマレーシア、薄汚なくカンボジア、足をひっぱってシンガポール、ああ、それでもやっぱり人は生きてはいるのだなあ、ということが、ボサボサ頭で、たっぷりとした、両替商の中年女の首の皺《しわ》からでも見てとれる。この中年女は、きっと皺だらけでぶるんとしたケツに、突然目のさめるほどあざやかな青いパンティを、はいている。見なくともわかる、そんな町である。  場外馬券売場は、今日も変らず東南アジアで煮つまっていた。  そこでは、 「今何時?」 「8レースの出走前や」  そうやって時間が測られていた。  だから、競馬のない日は時間がない。  黒いベンツが現われるはずの「第10レースの出走後」は、とうにすぎていた。  圭一郎の当る相手は、なかなか容易に現われない、黒いベンツの気配さえ見えない。  そのはずである。  粕羽聖子《かすばせいこ》は同業者なのだから。ハナからベンツ56年型に乗って来るつもりもなければ車も持ってなかった。  粕羽聖子は粕羽聖子で、きっとこの歩行者地獄のどこかに身を潜めて、相手が乗ってくるはずのリンカーン・コンチネンタルを待ちわびていた。  当り屋同士ともにしてやったりと思いながら、ともに待ちぼうけを食わされていた。しかし圭一郎、ことの他《ほか》、待ちぼうけにほっとしていた。  恋心を告白しようと決めた少年が、いざ年上の女に電話をかける、何度も何度もコールはすれども返事はなし、そのうちに決意が鈍り、このまま受話器が向う側であがらないでいてくれた方が、どんなにかよいか。あがるな、あがるな、二度とあがるな、このまま呼び出し音がするだけで僕《ぼく》の恋の告白は、充分に終ったのだ。  という、あの少年の弱気に似ていた。  圭一郎自身も、その弱気に感づいていた。  こんな弱気で、俺《おれ》は仕事ができるだろうか?  このおじけづき方はなんだろう。  俺は一体、なにに怯《おび》えているんだろう。  いつもと変らない仕事ぶりをすればよいのだ。車が来たら当ればいいのだ。1に右足で踏みこみ、2でストップ、3で身をひくように転げる。  いつも通りにやればいいのだ、それがどうしたことだ、このおじけづきようは。  なにか初めて車に当ろうとしたあの日に似ている。  その日は計算もなにもなかった。  おじけづく気持ちを缶《かん》ビールと一緒に飲みこんで、圭一郎、当り屋としての最年少記録を作らんとした。  年は十六。  缶ビールは三五〇CC。  十六歳には三五〇CCでも意外にきいた。  酔おうという気持ちも手伝った。  思いきりだ、こういうものは。  当ってしまえば、それで当ってしまうことになるなら当ってしまうに限ると、圭一郎、当り屋のマクベスになっていた。  大型の車だって二〇〇〇CCだ、缶ビール六本ぶんじゃねえか、六本飲めば二一〇〇CCだ、ザマアミロ、缶ビールの勝ちだ。  ロレツも頭の回転もすっかり回らなくなってきた。  結果は散々であった。  そんな足腰と酔いに任せた決意とでは、車の方が避けて通った。  やっとの思いで当ってみても、 「気をつけろ!」  と怒鳴られて、そのまま車は走っていった。  その時、圭一郎は、当り屋のなんたるかをおぼろげに知った。  当り屋とは、当《あた》るのではない。当てるのだ。  車もひるむような決意を当てるのだ。  そう思った。  アルコール分で紛らわせた決意ごときは、車に当てても砕けるだけだ。  決意のムダ使いはよそう。  十六の赤木圭一郎、しみじみと当り屋の難しさを知るの巻である。  初体験に失敗した頃《ころ》、圭一郎は、当り屋専門学院というものを耳にした。  専門学校は全国に二千あまり、洋裁、和裁、ドレメ、通信、速記、簿記、ボッキ、朝立ちと信じられないことまで教えるところがある。  当り屋専門学院もそのひとつだった。表向きは、赤羽近くの速記学校のような体裁をとっていた。  横の連絡などなにひとつない、この当り屋の世界で、当り屋を志すものがこんなにもいるのかと、つくづく励まされた今にして思えば唯一《ゆいいつ》の場所であった。  圭一郎の今の当り屋哲学は、その時期に生々しく育《はぐく》まれた。  この日曜日の弱気を解消するには、圭一郎、あの頃の栄光に浸る他は術《すべ》なしと思うや、みるみるさまざまな思い出が、指紋のようにぐるぐると脳騒ぎを始める。圭一郎、天性の冷静さもぐるぐると迷宮入り、「当るか当らないか」ここまで迷ったら、もう博奕《ばくち》も同じだ。  いつ現われるとも知れぬ、黒いベンツはそっちのけで、いつのまにか圭一郎、場外馬券売場の1—6という小さな窓口の穴に手をつっこんでいた。当るか当らないか。 「1—6、特券十枚」  そう言うと圭一郎、引き換えに手渡された馬券に、十六の頃の夢を託した。 [#改ページ]     13 「夢を見るな!」  当り屋専門学院の学院長は、圭一郎の目の前でそう言った。 「いいか、目を閉じた夜の夢といえども、当り屋は夢を見てはならない。現実だけを嫁にしろ。家族などという幻を見るな。子供は要らない。情を捨てろ! 愛を貶《おとし》め、希望を蔑《さげす》み、未来を賤《いや》しめよ! 当り屋が銭にできる相手は現実ばかりだ。現実だけを生涯《しようがい》の伴侶《はんりよ》にすることが君達にできるか!?」 「できます!」  当り屋専門学院の春、二百名近い当り屋士官候補生、中でもひときわ声高らかに怒鳴りあげたのが、圭一郎少年、弱冠十六歳の春である。  学院長、圭一郎の隣りに立つ少年に尋ねる。 「君は、なんという名前だ?」 「佐伯長太郎《さえきちようたろう》です」 「佐伯長太郎? もしかすると、明治時代に一世を風靡《ふうび》した職人当り屋、佐伯孫六|男爵《だんしやく》のお孫さんかな?」 「そうです」 「サラブレッドだな君は。では佐伯君に聞こう」 「なんなりと」 「そも当り屋とは、何を車に当てる職業か」 「体です」 「それだけか?」 「青春です」 「それだけか?」 「優しさです」 「そんなものは、最初から墓に埋めておけ。君はどうだ?」  矢継ぎ早に、尋ねられた赤木圭一郎、咄嗟《とつさ》に、たった一度の失敗の経験から答えた。 「私は、当り屋とは、決意を売ることを業《なりわい》とするものだと思います」  学院長、目を見はって、 「みごとだ!……君の名は?」 「赤木圭一郎です」 「心にとめておこう。さよう我々が車に当てるものは決意である。決意がゆらぐ時、それは当り屋の第一線から退く日である。そいつは突然やってくる。この専門学院を卒業した以上、十年は、第一線の当り屋としてやっていける。しかし、十年ほど経《た》ったころに必ずや迷いが生じる。羊を数えはじめたりする」 「どうしてですか?」 「どうしてかは、その時になればわかる」 「わからない時は、どうします?」 「羊に頼るな、当り屋専門学院の日々を思い出せ」  圭一郎、十年後に、それがわが身に訪れるとはつゆ知らず、強気に尋ねる。 「当り屋が過去を思うことは、卑《いや》しくありませんか?」  学院長、 「過去は金にはならないが、当り屋の邪魔はしない。許してならんのは未来である。未来というのは、不安とグルになって仕事の邪魔をする。当り屋という職業は、決意から現実への距離が短ければ短いほど成功率は高い。未来が口をはさむ隙《すき》を与えるな」  話が難しくなり、ポカンとしている当り屋専門学院の新参者達。そこへ、 「学院長の話は、難しゅうおますわ」  と関西弁で出てきたのが、当り屋専門学院の講師、かつては関西にその人ありと謳《うた》われた当り屋文左衛門であった。 「こないな、十六、七のガキどもに観念的な話はあきまへんがな。観念ちゅうもんには、若いやつらは、よう、ついていきまへん、マンガとテレビとプロ野球しか知りよりまへん、わてが、よう、かんでふくめるように話したるさかい」  専門学院の講師は、主に博奕打《ばくちうち》、ポン引き、引退した当り屋、バイトの大学教授からなっていた。  実にならない話は、いつもバイトの大学教授と学院長がした。  それに比べて、かつて関西一の当り屋と言われただけのことはあり、当り屋文左衛門のコトバは、骨の髄まで痺《しび》れさせた。 「ええか、あんたら。わいは、よう難しいことは言いまへん、ただ、こう思うてくれまっか? 現実いうんは、ゼニのことや、ゼニになるもんや」  関西弁で、ゼニ、ゼニと聞くと、現実に対する説得力がこうも違うものかと、圭一郎、感心することしきり、 「夢売る商売などと、たわけたことを言うもんがあります。あれが、なんぼのもんでっしゃろか。『明日を二人で夢見ましょう』言うんは、結婚式会場の宣伝文句か、せいぜいが、ニューミュージックいうもんや。ええでっか、相撲取りなら土俵の下に、ボクサーならばリングの下に銭が埋まっとる思え、いうような話を、よう耳にしますが、当り屋はそんな狭っ苦しい所とは違いまっせ。道路や、当り屋は、日本中の道路の下に銭埋まっとる、そう思うて励みなはれ。あんたらの現実は道路の下にあるんや、その気になればなんぼでも銭を掘り返すことができるのやさかい、それを、ぜんぶ掘りおこしたるっ! いうくらいな気概で、当り屋修業をつめばよろしいんでんがな。ま、ともかく辛抱や、シンボウが必要なのはコマばかりやおまへん、コマいうても新宿にある|あれ《ヽヽ》と違いまっせ、わかりまんな。あんたらまだシンボウが足らんさかい、うまくコマがまわらんのや」  花登筺《はなとこばこ》を彷彿《ほうふつ》させる当り屋文左衛門の説教を皮切りに、かくて当り屋専門学院での辛抱第一の生活が始まった。  春に二百人近くいた当り屋士官候補生は、夏を待たずに半数に減った。  それほど修業は辛《つら》かった。  なかでも週に三回訪れる「辛抱の時間」は、骨身に沁《し》みて、さまざまな辛抱を強《し》いられた。  それも御大層に、食欲、物欲、性欲の辛抱と几帳面《きちようめん》に三つに分れていた。  三日間、何も食わされぬ日があり、代りに三日我慢すれば、今まで食らったことのない御馳走《ごちそう》が用意されているというフレコミ、それを信じての三日の絶食。想像したほど苦しくはない。食わないくせに便意を催し、最後になにも出なくなると紫色の便が出た。空腹感と満腹感の見境いもつかなくなった。いよいよ、三日が経って、目の前に舌平目のムニエル、仔豚の丸焼き、フカ料理、続々と御馳走が運ばれ、さあ食えるわ、食えるわ、思ったところが、宴を始めたのは文左衛門達ばかり。  専門学院生の口には、もやし一本、蟻《あり》一匹入らない。  やがて宴もたけなわのころ、呆然《ぼうぜん》と見守る専門学院生を尻目《しりめ》に、殆《ほと》んど食いつくされて残り滓《かす》になった卓上の料理を、文左衛門達、大笑いしながらひっくり返す。ひっくり返しては、踏みつける。二度と食えないほど、踏みつけて泥《どろ》まみれ。さらに丹念に、汚れたモップで部屋の隅《すみ》にかきよせて山にする。  その御馳走の死骸《しがい》を示して、文左衛門、 「あんたら、よう三日も飲まず食わず、こらえてきました。さ、さ、食いなはれ、御馳走や」  赤木圭一郎は食った。  靴跡《くつあと》で横縞《よこじま》の入ったキャベツを食った。  紙ナプキンがベットリついた、こまぎれのトマトを食らった。  意地悪くまぜられた、手のり文鳥のナマの死骸が時々歯にあたった。 [#改ページ]     14  物欲の辛抱というのは、趣向が違った。 「人が持っているもんを我慢するいうんは、たいした辛抱にならしまへん。逆や、辛抱いうんは、施しをすることや、あんたが、一番あげたくないもん、ああ、これだけは自分のもんにしておきたい、いうもんを人にやるんや。さ、さ、なんでもわてに、よこしなはれ」  いつもどこか、文左衛門の理屈は、自分にばかり都合がよかった。  しかし、ぐずぐず言ってみたところで、「道理いうもんがなんぼのもんや」、そう一笑されるのは目に見えていた。  かくて辛抱、辛抱。当り屋士官候補生は、わずかな自分の肌着《はだぎ》を除き、安っぽい時計から家族の写真、靴下《くつした》の糸くずにいたるまで、取り上げられた。なまじ恋人などいるものは、哀れをさそった。泣き叫ぶ恋人と引き裂かれ、さながら水呑《みずの》み百姓の娘と庄屋《しようや》様の関係のように、文左衛門のもとへひっぱられ、そのしつっこい胸の下で、あたら若き操《みさお》は散っていった。  意外にも、恋人は三日もすればケロリとしていた。恋の脆《もろ》さを痛切に知った。  性欲の辛抱——こいつが年頃《としごろ》だけに、辛《つら》かった。  眠る時には、掛けぶとんの上に手を出すことが命じられ、知らずフトンの中へ手の入っていく者は、いつも両手を縛られた。  それでいて、性欲は、四六時中はなはだしく刺激された。  耳からはエロ話、目からはヌード写真、鼻からは、昆虫《こんちゆう》の性フェロモンと、メスと見ればカブト虫とでさえやりたくなるほど。まさに一触即発とはこのこと。部屋の壁は桃色で、ワイセツなコトバと絵ばかり、廊下一面に無修整写真、それも「このヌード美しいわあ。フランス人が撮ると、やっぱり違うわ」と娘っ子がほざくようなシロモノではない。ただただ、動物的に激しく扇情するものばかり。見るだけで、おっと射精がはじまりそうな、ええい、くそうと観念して夢の中で夢精でもしてやれ、などと思っていると、バシッと竹刀《しない》で叩《たた》かれ、 「夢で女を抱いたらあきまへん」  と夢の中まで干渉される。  どうしてわかったのかは不思議だが、おそらく死顔に人生がでるように、寝顔に夢精がにじみでるのだろう。  ここまでくると、さすがに圭一郎、自分の人間性というものがいったいどこでどうなってしまったのか、深く深くヒューマニズムに傾倒するも、文左衛門は一枚も二枚も上手《うわて》、 「ええでっか、わいを憎んだらあきまへん。憎いのは車や、車にのっとる人間や。あいつらが、あんたらをこんなにも苦しめとるんや。あんたらの青春を破壊してるのは、わてやない。車や。車にのっとる人間や!」  こうなると、もう、そんな気がしてくる。  くそう、いつか車に当って、金をふんだくってやる!  俺《おれ》が失《な》くした青春の賠償金だ!  と、まさしく八ツ当り、八ツ当りが転じて当り屋となっていく。 「決意」を当てる職業などと、コトバ麗々しく飾られてはいても、当り屋の決意の実体は、こんなにもさもしくアジアアジアしている。アジアの辛抱から生まれている。貧しいといえば貧しい。 「決意がなんぼのもんや、ええか辛抱や、辛抱せにゃあかん」  文左衛門のコトバの前には、観念などあっさりふっとんだ。  秋口には、もう当り屋士官候補生は、二百人から三人に減っていた。  やめていった若者の殆《ほと》んどが、 「だって世の中、もっと楽しいことあるじゃん」  であった。  言われてみれば確かなこと。  しかし、圭一郎、アジアアジアした辛抱を、どうしても、決意決意した観念に昇華したかった。 [#改ページ]     15  当り屋専門学院の卒業生は、毎年ゼロないし一名と定まっていた。  辛抱という現実の極限を、一年間生き抜いた三人の専門学院生の中から、さらに絞りぬかれる最後の冬が来ていた。  三人の名は、赤木圭一郎、佐伯長太郎、大山岩吉であった。  佐伯長太郎は、祖父孫六男爵が、日本当り屋|黎明期《れいめいき》を支えた名士であったことも手伝い、ここまでやってこれた。  当り屋専門学院といえども、コネは存在するのであった。  大山岩吉は、生来の鈍感さが辛抱を辛抱と感じさせず、靴跡《くつあと》のついたキャベツ、レタスは大好物、生まれ育ちは不詳の男であった。  自慢は、紙パンツと無感動な心。  いつも紙パンツをはき、紙がよれてひもになるほどはきつくすと、文左衛門に「これが僕《ぼく》の物欲です」と言って差し出す無神経さ。  ヌーッと地面に二本足で立ち、これで両手をつけば、まちがいなく密林へ帰っていくことができる、なんのてらいもこだわりもなく。そんな男。  赤木圭一郎は強力なコネと鈍感な紙パンツと闘わねばならなかったのである。  当り屋専門学院の窓からは、落葉した樹々《きぎ》にまじり、赤く黄色く紫にと色づいた葉牡丹《はぼたん》が申し訳で見えた、圭一郎、十七になったばかりの厳しき冬であった。 「今日は、最後の講義になりますわな。今日の辛抱いうんは、ちいっと変っとりまっせ。よろしゅうおまっか」  その日の当り屋文左衛門、いつになく柔らかき物腰、専門学院にある古びて赤錆《あかさ》びたストーブを示して、 「みなはん、ストーブの傍《そば》に寄っとくんなはれ、ええかあ、寒うおますやろ、煙突に手をつけなはれ、さ、さ、ええか長太郎ハンも、大事な体やよってにな」  なにか下心がありそうで、圭一郎、できるだけストーブから離れているのを文左衛門、 「なにしとりまんのや、圭一郎ハン、三人とも、よう今まで辛抱してきはりました。もうじきでっせ、もうじき道路の下から銭掘りだせまっせ。おっと岩吉ハン、煙突から手を離したらあきまへんがな。今日のワテのハナシは、煙突に手をあてたまま聞いて欲しいんや。幻の当り屋のハナシをするさかい。なに驚いてまんのや、ワテが幻いうんがおかしゅうおますか?」  幻とか、夢うつつとか、未来、永劫《えいごう》、希望、明日、将来、展望、そうしたコトバを耳にするのは、圭一郎、実に一年ぶり。 「幻の当り屋いいまんのは、あんたらと同い年ぐらいの少年のハナシや、カスパー・ハウザーいいまんのや、そや毛唐や、毛唐の国のニュールンベルグいう町に忽然《こつぜん》と現われた少年や」  関西弁で、ニュールンベルグだの、忽然だの、文左衛門、精一杯の知性であった。 「そのころは、車いうんはあらしまへん。そやさかい、馬車に当っとりましたんや、カスパー・ハウザーの、猫《ねこ》のように柔らかい馬車への当り、続く一連の流れるような身のこなしは、天才的でおました。『おお、いたいっ、どないしてくれるんや、ほんま……』とゆすりに入っていくカスパー・ハウザーの話術は、天使の声のボーイ・ソプラノ、たどたどしく、誰《だれ》もがつい同情してしまう巧妙さ、しまった欺《だま》されたと相手が思うた時は、悔しさとは別に、もう一度カスパーと会いたい思うような、くちおしさまで残ったいうハナシや、おまけに必ず旧約聖書と白いカーネーションが現場に残されたいうさかい、まあタダモンやない。手を離したらあきまへん、長太郎ハン。今日は、この幻の少年のハナシを最後まで聞いてもらいますう。煙突から手を離さんと、アツウなっても辛抱して聞かなあきまへん」  カスパー・ハウザーの話は、なおも延々と関西弁で続いていった。  圭一郎、煙突にはりついた手のひらも熱くなっていったが、ハナシも熱くなっていく。いよいよ、カスパー・ハウザーに魅せられていった。  カスパー・ハウザーはニュールンベルグの町に現われるまでの十七年間、地下牢《ちかろう》に入れられ閉じこめられたまま、パンと水と木馬だけを与えられ暮してきた。  外の世界とは全く切り離されて生きていた。  そのことを除けば、カスパーの少年の日々については、何も知られていない。このことを耳にするだけでも、祭りの見世物小屋の臭《にお》いがした。それも圭一郎の好きな、いかがわしきにおい。  その正体不明の少年は、遠く離れたところで、ニワトコの実と黒スグリの実の臭いとを嗅《か》ぎわけることができ、数キロも離れ、おぼろげにしか見えないはずのマルロフシュタイン城の窓の数さえ数えることができ、ローテンブルグの砦《とりで》に、てんてんとある廃家に入った泥棒《どろぼう》をさえ見つけ出す。あ! 二番星、お! 三番星、とふつうなら数えるような、まだ、ほの明るい夕暮れに、すでに全《すべ》ての星を見つけることができる。磁石のマイナス極を向けられると空気が体の中から出ていき、プラスを向けられると空気が体の中へ入ってくる、そして音が見え色が聞える、そんな感覚まで持ち合せていた。  星の降る夜と木馬を愛した、瞳《ひとみ》キレイな少年、その並みはずれた感覚と天才的な身のこなしで、街角という街角で、次々と華麗な当りを繰り返した。果敢に当っては、可憐《かれん》に立ち上った。  そして不敵なコトバを口走った。 「ある日ふっと、当りたくなるから当るんだ」  クリスマスを十日後に控え、しっとりとあわただしいニュールンベルグの町が、初雪の白衣を着こんだ日、ニュールンベルグのはずれ、アンスバッハの公園でカスパー・ハウザーは暗殺された。  アンスバッハのしららかな雪の上には、カスパーの血が、てんてんとしみわたった。  圭一郎、十七歳、雪と暗殺と血と聞くだけで、喜びいやまさる年頃《としごろ》。  幻の少年当り屋の話は、今や、手のひらのアツサにもまして頭の中でアツクなっていく。幻の少年というものが、はっきりとした形になっていく。圭一郎、幻に憧《あこが》れる。  それに冷水をかけるように文左衛門、 「ええか、あんたら今、アツウなっとりますやろ、頭ん中が。それがクセモンや、幻いうもんは、そこにつけこむもんや、そんな頭ん中に入っていくもんや、当り屋がそんなもんに欺されたらあきまへんで、ええかあ。今のハナシにはどこか嘘《うそ》がまじっとります、『当りたいから当る』ような奇麗ごとはあらしまへん、当れば痛いもんや、誰《だれ》が好きで当りまっか。『当りたいから当る』いうんは幻のコトバや。幻いうもんは、必ず実体があるもんや、そいつを今日は見きわめますさかいな。ええでっか、まだ手え離したらあきまへん、辛抱しいな長太郎ハン。幻いうもんのバケの皮をはぎまひょ、カスパー・ハウザーの正体を見破ったもんが、当り屋になれまんのや、どや、長太郎ハン、カスパー・ハウザーは何者や思いまっか?」  佐伯長太郎、煙突に押しつけた手のひらのアツサのあまり、目もうつろコトバもおぼろ、 「ぼくはあ、……アアッ……アツイ……そんな異常な感覚の持ち主というのはあ……アアッ……ほとんど詐欺師《さぎし》か、でなければ……ううっ……お城の窓の数を知っていたくらいだから……ああっ……どこかの国の王子様で……ううっ……悪い継母《ままはは》にでも十七年間、どこかに……ううっ……閉じこめられていて、それで奇妙な感覚に捉《とら》われたんだとおおっ!……思います」 「さすが、明治の雄、孫六男爵の孫でんな、そういう推理する人は意外に多いんでっせ、ニュールンベルグいうところのソバにバーデンいう国がおまして、やれそこの王子様だナポレオンの末裔《まつえい》だいう話がありまんのや、ま、辻褄《つじつま》はあいまっけど、わては、それこそ夢のような話や思います、好きやありまへん、そやさかい……長太郎ハンッ!」  見れば、ついに佐伯長太郎、一年間の辛抱を放棄して、そこに失神、残るはいよいよ、鈍感な紙パンツ・大山岩吉と、われらが赤木圭一郎であった。  圭一郎、出してよいものなら「グオオオッ」と熊《くま》の声でも出したいほどの熱さに耐えながら幻の少年のことに思いを馳《は》せる。  思い馳せれば馳せるだけ、カスパー・ハウザーは、幻の中で生々と息づいてくる。 「岩吉はんは、どないだすう?」 「おれはあ、そんな人間離れしたのは、宇宙人か人造人間かあ……」  大山岩吉、平然としている。人間離れしているのはお前の方だと言わんばかりに文左衛門、岩吉に引導を渡す。 「岩吉ハン、あんたは、とてもええ人や、頭もよすぎる。そやさかい、当り屋にはむいてまへん、御苦労はんやった」  これで終り。  大山岩吉の一年の辛抱は、一体なんだったのだろう。  人間、辛抱すればいいというものではない。という教訓だったのだろうか。 「赤木ハン、あんた、どう思いますう?」 「大山岩吉の辛抱についてですか?」 「は?」 「いや、カスパー・ハウザーですね、僕は、いろいろと考えたんですが、うっ!……」  とにかく、カスパー・ハウザーの正体をあばくまで煙突から手を離してはならないのである。 「寒いでっしゃろ」  文左衛門、にこやかに、ストーブの中に焚木《たきぎ》を放りこむ。 「先を続けてくれはりまっか?」 「僕は、カスパーの感覚は、……ああっ……ヤクというのをやっている人のそれに……いいっ!……近いと……」  文左衛門、瞳もキラッと、 「ほうほう、そうでっか、ほんで!」 「幻を見てきたように語るのは、仙人《せんにん》でも、巫女《みこ》さんでも呪術師《じゆじゆつし》でも……おおっ……みんな必ず……うっ……薬草を使います。あれはみんな薬を使って、奇妙な風景と感覚を獲得してるんじゃないでしょうか……うっ……それを口走るから、幻がそこにある、ことに……うっ……」 「ほたら、あれでんな? 幻の正体は、なんのことはない薬や、いいまんのか?」 「薬があって幻があるのか……ううっ……幻があって薬があるのか……それは僕には……えええっ! ただ、薬というものは……ああああっ!……馬のように飼いならすことができるという話を……おおおおおっ!……聞いたことがああああああっ!」 「圭一郎はん、手を離しなはれ。よう言わはりました。そや、幻なんちゅうもんは、高々そんなもんや、なんも、こわいことはあらしまへん、ええか、幻いうもんを、あんた、二度と見んようにならんとあきまへん。十年|経《た》って、二十年経って当り屋が迷う時は、いつもそうや、幻を見る気がするんや、幻の少年が、幻の一族が、ワテらの目の前で当り屋をやってみせるのや、それは、突然やってくる。それを見た日は、おしまいや、カスパー・ハウザーを見た日、あんたは当り屋をやめなあきまへん」 [#改ページ]     16 「1—6は隣りです」  その声にハッとする赤木圭一郎、ぼうっと馬券売場の小さな穴に手を突っこんだまま、窓口を見れば「2—6」とある。  16の夢を託して買ったはずの馬券は、ハナから26の夢であった。  圭一郎は、この数日間、胸で胃で腸で脳で騒ぎ続けたモノが、だんだんと形を帯びて、輪郭もはっきりとしてくるのがわかった。  それは、なにか人間の姿のようであった。  しかも少年の、幻の、そう、幻が少年の人格を帯びてくるのを知った。  脳騒ぎの正体はカスパー・ハウザーであった。  それは地獄に突然やってきた。  馬券売場の窓からふりむいた圭一郎の瞳《ひとみ》に、リンカーン・コンチネンタルという漆黒の光沢を放つサラブレッド、地獄の馬車が飛びこんできた。  なんという偶然か、このアジアのしみついた四《よ》ツ辻《つじ》に、圭一郎がのってくると、でまかせで口にしたリンカーンが、確かに立食い食堂の前の四ツ辻に現われたではないか!  その時、突然にやってきたのである、幻の少年は、どこからともなく。  ふらっと車の前へ身を躍らせると、宙に舞った。  少年の仕草は、ただそれだけであった。  車に当るや、幻の少年は、その小さな体から、ボロボロと深紅《しんく》の宝石を、あたりに撒《ま》き散らした。  惜しげもなくこぼれていく宝石は、昼下りの穏やかな光に震えながら、道路一面に飛び散った。  黒光りする車の青いナンバー・プレートにも、深紅の宝石は、ネックレスのような輪を投げかけた。  幻の少年は、当りたいから当った——圭一郎の目には、そうとしか映らなかった。  なんという観念の放蕩《ほうとう》だろう。たった今、幻の少年は、決意を惜しげもなく見せびらかしているのだ。  決意という宝石を、湯水のごとくふんだんに使う、この決意の放蕩者を目の前にして、圭一郎は嫉妬《しつと》した。  その日のメシにも汲々《きゆうきゆう》とした貧乏人が、いきなりルードヴィッヒ二世のノイシュヴァンシュタイン城の玉座の間に通されたようなものである。「人には寝るための場所が、方丈もあればよい」とせめて負け惜しみを言うほかに、アジアの貧乏人に術《すべ》はない。  木曜日の胸騒ぎは、胃を腸を脳を通り、ついにこの日曜日、突き当りの現実となって現われた。  この幻の少年こそ、天翔《あまが》けて姿の見えぬオオミズアオの地上に映った影なのかもしれない。  現実の当り屋赤木圭一郎は、十年の歳月を越え、なす術もなく、幻の少年当り屋に敗れ去った。  圭一郎はそう思った。  ただ、目の前の幻の少年を、よくよく見れば、カスパー・ハウザーと異なるところがひとつだけあったのである。  カスパーは、馬車に当りころげて、道端の草むらへ身を放っても、紫雲英《れんげそう》の花でもむしりながら必ず不敵に起き上り、旧約聖書と白いカーネーションをその場に残し消えていった。  なぜなら幻なのだから。  だがこの自動車に当った少年は二度と立ち上らなかった。  その四ツ辻でいつまでも死んでいた。この幻の少年は、現実の血を流していたのである。  圭一郎は、直感した。  これは、少年が当ったのではなく、誰《だれ》かの手によって当てられたのだ。  アンスバッハのしらゆきつもる公園に、幻の少年カスパーが現実の血をしたたらせたあの日と同じだ。  カスパーが、二度と立ち上らなかった日、それは暗殺だ。  圭一郎の直感は、当っていた。  少年の背中を押すものがあった。  少年の名は粕羽法蔵《かすばほうぞう》。  そして背中を押した女の名は、粕羽聖子、少年の母親、名うての女当り屋であった。  やはり彼女も、この町に来ていた。 [#改ページ]     17  親子の当り屋の事件は、翌日から数ケ月間、都を賑《にぎ》わした。  つむじ風の如《ごと》く、都の方々の街角で話題をさらい、新聞紙面、週刊誌上、家庭の食卓、小料理屋の俎板《まないた》と料理されないところなく、人の口にもてはやされた。  実の母親が、息子の背中を押して車に当てるなどもってのほかだ、残忍だ、犬畜生だと、人道主義万能主義者のヒステリックな論調が世間の往来を肩で風きり闊歩《かつぽ》した。  しかし、その実、あれほど世間を喜ばせ、好奇心をそそったものは、粕羽聖子のその後の言動であった。  まず、粕羽聖子は、法蔵などという息子は知らない、見たことさえない、自分は生涯《しようがい》ひとり者の身の上なのだから、と言いはった。  少年粕羽法蔵の死に立ち会った現場検証のおりにさえ、眉《まゆ》のひとつも動かさず、「まあ汚ない子供ね」と言ってのけた。  検屍官《けんしかん》の「お前の子供に間違いないな」という不調法な問いかけに答えて、「いいえ、生憎《あいにく》と、まちがいですわ……それに、あなたごとき、おかっぴき風情《ふぜい》に、お前呼ばわりされる筋合はございません」と言ったきり、もう口もきかない。マリー・アントワネットならば、さもあらん、尊大に構えた物腰で、検屍官をさげすむ。それがまた、サマになっている。  三十を越えたばかりの、しっとりとした色気にその高貴な顔貌《がんぼう》、初雪のごとく色白、気持ち昂《たか》ぶる時は、頬《ほお》に赤みがさし、それがまたたまらない、しかも声は、ほどよく低く、下衆《げす》に申せば、しゃぶりつきたくなるよないい女、その女が、少々の窶《やつ》れを見せて髪などもほつれ、風に揺れたりなどしながら、二本、三本額から口元へとかかる粋《いき》な姿で、おかっぴき風情をコバカにする、新聞記者をケムに巻き砂をかけあしらう、ひと目見たさのヤジ馬に流し目でふふんと笑う。  こうなると江戸っ子ならずとも、いまや全国津々浦々「古賀政男音楽祭に出したいようないい女だなあ」の声があがる。  さあいよいよ、おかみの御沙汰《ごさた》、取調べがはじまるという段になっても話は、いっかな進まない。 「何度も申し上げてありますように、私は、ついぞ、子供というものを持ったことがありませんの。はい。私は、お察しの通り、当り屋でございます。そのことは、認めておりますわ。その私とて、あの日おこった当り屋事件はよくわからない、というのが本当のところです。  目の前で、見知らぬ子供が飛びこんで、ええ、いつのまにか、私が当り屋だと言うので、やれ子供の背中を押したのなんのと、いいがかりをつけられて。え? 本当です。子供など持ちたいと思ったことさえありませんもの。女だから? 一度くらい? 子供を? 冗談じゃありません。そんな女だっていくらでもいるんです。あの法蔵という子供には、覚えがございません。  子供に覚えがあるとすれば、私には少年時代があることです。それもひとつではありません。いくとせか前の夏、はじめて私は、粕羽八月という少年の夏を過ごしました。燃えたぎるように激しい夏でした。それから、ついこの間の冬でしたか、粕羽正月という少年であったことを思い出しました。その少年の冬は愉快でしたわ。粕羽正月は、おめでたい少年だったんですの。そして今日の朝、いつものように、顔を洗って、それから歯みがき粉を指にしましたところが、体がじっとりと、湿ってきて、雷の音が、かみな※[#(fig2.jpg)]と見えて、いえ、稲光りではありません。稲光りの色は、キキキイ——— という色が聞えましたもの、あっ、僕《ぼく》は六月だ、粕羽六月だということに気がついたんです。  私は、三つの少年時代を抱えて今日はでかけてきたんです。  ええ、確かに今日、あのリンカーンに当ろうと思っていました。  外交官が乗ってらしたんですか。では人違いのようです。  誰《だれ》が当るって? いいえ、私がです。私が当ろうと思っていましたわ。なぜって決まっているじゃありませんか。当りたいからですわ。お金? ええ、いただくのが道理です」  この粕羽聖子の供述を理解できるものはいなかった。  すべて信じるとすれば、あまりにも偶然が重なりすぎて常軌を逸した話、これでは、どうにも手がつけられない、というので、決まって登場する救いの神が、精神鑑定であった。  しかし精神鑑定は、犯罪者の方にとっても救いの神、うまくひっかかれば、罪が軽くなるばかりか、バカなら仕方ない、不憫《ふびん》だ、可哀相《かわいそう》だと手弁当の支援団体などまで現われて、シャケの入ったおにぎりを作ってくれる、ホウジ茶を入れてくれる、手袋を編んでくれると、いたれりつくせりの社会奉仕を受けることができた。  裁判など、どうせあてにはならない代物《しろもの》なのだから、と、唯一《ゆいいつ》残された救いの道は、この精神鑑定である。  小心な犯罪者に限ってこういう段になると、策を弄《ろう》し、もっぱら悪あがきをして失敗する。  鑑定者の広げてみせた五本の指の、 「これ何本ですか?」  の問いに対して、 「二百本です」  と答えたりする浅薄さ。  しかし、それこそ、正気である証拠、正真正銘のキチガイは、まちがっても広げた五本の指を二百本とは言わない。  狂気とは、見たままの事を言ってのけるから狂気なのである。  だから精神鑑定などというものは、いかに奸計《かんけい》を謀《たばか》れども結果の変るものではない。真っ正直な気持ちで、受けるに限る。  などと考えていると、これがまたとんでもないことがおこる。  精神鑑定家が真正面に座って、白い紙をびりびりに破り裂く。頭上へもっていき、パラパラと、粉雪のように紙片を降らせ、 「どうです? これが、面白《おもしろ》いですか?」  なにしろ白衣《ヽヽ》、厳粛《ヽヽ》、真顔《ヽヽ》という三拍子|揃《そろ》ったバカバカしさの中で、紙をパラパラ、ぐいっと真顔で「どうです? 面白いですか?」、ふき出すのが当りまえ、辛《かろ》うじてこらえても「面白いです」と答えるのが人情、ところが鑑定家、深く溜息《ためいき》をつき、 「そうですか……これが」  と、なにやら診断書にサラサラと書きこんでいるを覗《のぞ》き見れば、ドイツ語にまじって、「無意味なものを見て面白がる。秩序および法則に対する著しい異常性が見られる」などと書かれている。  これが精神鑑定、当てになるしろものではない。  狂気などは他人のきめるものではない。自分が一番よく知っている。だから文学青年の類《たぐ》いで、毎年祭りのように、今はソウです、今はウツです、病院に通っているんです、と誇らしげに繰り返しているやつなど、どしどし、ああそうだ、そうだ、君はキチガイだ、キチガイの誉れだ、と励ましてやればよい。  精神の問題は、そんなところにはない。  心底、自分の精神に悩んでいる人間は、肝心カナメのところで口を閉ざすから解決がつかないのである。  粕羽聖子は肝心カナメのところで口を閉ざして、なお色目を使った。  鑑定家達は、気味悪がった。  無垢《むく》に乾いた少年の色目であった。  粕羽聖子は、精神鑑定をうけながらも、自分に少年時代がある、と言い張ってきかなかった。  そのことを除けば、異常は見られなかった。しかし、少年時代の過去をもつ女、それだけで十分異常である。  そう鑑定された。 [#改ページ]     18  脳軟化症をおこした老婆《ろうば》が、「私は、おじいさんだよ」と言いはってきかないことがある。  そんな場合の老婆の脳は、他にいくらでも異常が見てとれる。脳のいたるところ、いろんなものが出たり入ったりしている。老婆は突然、おじいさんではなく、「私は、本当は、松の木だよ」とも言いかねないのである。  聖子の場合はそれとは違う。少年時代が取り憑《つ》いているだけである。他に異常は見られない。  粕羽聖子は、一時的に軽い脳しんとうをおこし記憶喪失がおこり、さらに錯誤と過失と未必の故意と偶然と日曜日と祭日とが重なったのではないか。ひとつくらいは当るだろう、そう結論を下す者もあった。  いや、他におかしいところはないのだから、やはり、これは罪をのがれたいあまりに少年時代があるなどと、ひと芝居打っているのに違いない、だから、この世から芝居を抹殺《まつさつ》しろと結論をまちがえる鑑定者もあった。  しかし、とりあえず従来の症例ならびに判例に鑑《かんが》みれば、祈祷《きとう》精神病と呼ぶのがふさわしいだろう。  新興宗教の開祖によくある、あの憑依《ひようい》現象である。  息子の足が悪いのを、なんとか直そうと、祈祷しているうちに、 「私に神様が入った」  などと口走りはじめ、やがて、 「おれは三足|狼《おおかみ》の神だ、天狗《てんぐ》ども立ち去れ!」  とやりはじめる、あの祈祷精神病が最も近いのではないか。  若干食い違うところは見られるが、そろそろ結論を出さないと世間もうるさい、ということで、そこらあたりに落ち着きそうになった。  しかし、それを覆《くつがえ》す事態がまた、二、三日後に起きた。  粕羽聖子が、留置場での朝、歯をみがいた直後のこと、著しい感覚の異常が見られる、と報告された。  明らかに麻薬常習者のそれであった。  決め手になったのは、例の色彩に対する感じ方。  粕羽聖子の耳に、ムラサ———キ、フジムラサ———キ、と始まった。  混合色などは、日によって聞え方が違う。水色であれば、ミズ———イロと聞える日もあるし、アオトシロノコンゴ———と入ってくる日もある、水色を見てもなにも感じない日もある。  こればかりは、体験したものにしかわからない。  視覚そのものが、輪郭線と色彩と立体感から形作られていない。気紛れが支配している。  見たいから聞えるのであって、見たくないものは、聞えてこない。  聴覚についてもそうであった。  ギイーッと格子《こうし》の扉《とびら》の開く音がらせん状に、ギイ※[#(fig3.jpg)]とばかり、開いた格子そのものに巻きついて、藤棚《ふじだな》のようになっていくのが見える。  無論、そうは見えない音もある。  聞きたいから見えるのであって、聞きたくないものは見えてこない。  この世界こそ、人間に新しい感覚をもたらす、精神界にひとつの黎明《れいめい》を告げるものだと言い出すものも現れた。  が、所詮《しよせん》、知っている知識に組み替えがおこっているだけのこと。  音を聞く、色を見る。これが音を見る、色を聞くといった風に組み替えがおこったのである。 「私が笑う」と「タオルで汗をふく」という知識と感覚がありさえすれば、「私で汗をふく」「タオルが笑う」という感覚が、自分の知っている感覚の中で、それらしく感じられるだけのこと、麻薬の精神開示《サイケデリツク》作用などという効用は、そんなものである。新世界などこの世にありえない。  と、激しい口調で、精神界のカトリックは手厳しく批判した。  が、そうとばかりは言えない。  少なくとも、粕羽聖子を知る者にとって、しらじらとした朝の光に打たれながら、白い歯みがき粉を赤い唇《くちびる》にあて、留置場のベッドのシーツの皺《しわ》などに瞠目《どうもく》している姿を見れば、おや、どこかに新世界がころがっているのかな、そんな気がしてくる。  かつてはアルプスがシーツの上にあったのかもしれないのである。  しかし、とりあえず精神鑑定家達は、粕羽聖子を�麻薬常習による精神異常�という烙印《らくいん》を捺《お》すことで安堵《あんど》した。  かてて加えて、状況証拠があがった。粕羽聖子が、自分の少年時代としてあげた名前、粕羽八月、粕羽正月、粕羽六月、これらはいずれも、四年前の八月、去年の正月、そしてこの六月と、すべて聖子が当り屋の未遂をやった月に符合することが判明した。  つまり、事件の朝、いつもシャブをうった聖子の月日の記憶回路が、なぜか少年という回路にすり替っているらしいということになった。  いや、そうだ、そういうことにしておけ、一件落着!  思ったのも束《つか》の間、翌日から粕羽聖子の精神鑑定は、さらに一段と、難色という色を、濃くしていくのであった。  聖子の耳には、ナンショ———クとでも聞えたであろうか。  なにしろ、粕羽聖子は、精神こそ麻薬常習者そのものであったが、その白い肢体《したい》からは、なにひとつ麻薬常習者の徴候が見られなかった。  わずかに小指の先に、トラネキサム酸反応があった。  それとて麻薬ではない、歯みがき粉の成分である。  麻薬常習の薬物反応検査では、とうとうなにも見つからなかった。  日本の優秀なる精神鑑定家達も、これではさすがに�麻薬常習による精神異常�とは軽々しく烙印を押し難《がた》かったのである。  つまり、粕羽聖子は、初めてのケースであった。  そのはずである。粕羽聖子が飼い馴《な》らした白い実の正体は、歯みがき粉なのだから。 [#改ページ]     19  粕羽聖子は、一糸|纏《まと》わぬ姿で、その部屋にいた。 「もう服を着てもよろしいんですか?」 「結構です」  低く無表情な声が返ってきた。  ぴったりとした青い光沢のあるスラックスを、下着をつけずにはいた。  白い背中とこぼれんばかりのたおやかな乳房を、くるむようにしてブラウスの中へ包んでいった。  ゆうゆうとした仕草であった。  これだけの辱《はずか》しめを受けてなお、慌《あわ》てて服を着こんだりするのは、気位の高い聖子にとって堪えられぬことであった。  麻薬常習の薬物反応検査という名目で白い体躯《たいく》を、検査員の前にさらけだすことは、土くれだった荒野で、野犬に凌辱《りようじよく》されたような思いであった。  いや、まさしく薬物反応検査は、獣姦《じゆうかん》に近いものがあった。  初めに、口の中へ様々の色どりの紙片、液体、器具などを押しこまれ、それが終ると、貧血をおこさんばかりに、何度も何度も採血された。  検査台の上に、聖子の体を投げ出すや、衣服は事務的な荒々しさで、剥《は》ぎとられた。  青白い静脈が透けて見えるほど白い乳房を、天井から降りてきた銀色の器械の触手によってわしづかみされると、ひやっと冷たいものが背中を走る。  心音をまさぐるように、乳色の器械があてがわれ、その器械の二本の線が分れていったその先は、一本が、聖子の、くいとくびれた腰のあたりに、もう一本が、深く色濃く茂るくさむらのあたりにまで伸びていた。長く伸びた白い脚を、両方に広げられ、陰部に、長く冷たい検棒が挿入《そうにゆう》された。  挿入された時に、若干の出血を伴い、聖子は激しい痛みを覚えた。  聖子は、無表情で職業的な検査官達を呪《のろ》った。  呪っているくせにおかしかった。なにか自分が、純文学の悲劇の中にいるようでおかしかった。  これからまだ幾度となく、このような純文学にまみれながら、取り調べは続くのだろうか?  ブラウスのボタンを、ひとつふたつとかけながら、いっそのこと、あの粕羽法蔵という少年を自分の子供であると認めて、殺人罪でもなんでも、この身に引き受けてしまおうか。  粕羽聖子にとって、確かに、この殺人は、冤罪《えんざい》であった。  ならば、どうして粕羽聖子は、取り乱してでも、無実の罪を謳《うた》おうとしないのか、そうすれば、手弁当の支援団体が千羽鶴でもなんでも折ってくれるのだ。  それをしないのは、ただ、粕羽聖子の気位が高いばかりではなかった。  あの日曜日のできごとが、漠《ばく》として、捉《とら》えきれぬままだからである。  これは、まるで中世の魔女裁判と同じであった。  魔女として訴えられた女は、自分は魔女でないことを重々承知しているものの、連日連夜、人間ならば誰《だれ》しも身に覚えのあることどもをそれらしく系統だてて語られるうちに、少しはそんな気にもなってくる。  それに加えて、水検査、秤《はかり》検査という、魔女ならばはっきりと反応を示す盟神探湯《くがたち》のような検査までが始まるころになると、恥ずかしさのあまり自暴自棄、どうせあたしみたいな女、と誰でも心の中に悪の胤《たね》は宿っているから、そうだわ、魔女と言われてみれば、確かに自分はロクな女ではない。夢の中で亭主以外の男とも寝た。道路にタンも吐いた。タンツボに吐かなかったのは、なにより私が魔女だからだわ。もしかして、自分の気付かぬうちに、出て行ったタンの代りに悪魔が私の口から入ったのではないか。もうこれ以上、こんな辱しめを受け、苦しみにさいなまれるのならば、いっそのこと……。そんな気持ちも手伝って「ええ、私は魔女に相違ございません」とついに白状してしまうのである。  聖子は、まさにそう思いかけていた。  自分は本当に、あの見ず知らずの少年の背中を、この手で押したのではないだろうか。  それにしても、あの少年は、誰なのだろう。  粕羽法蔵というのは本当だろうか。  私の戸籍に実子とかかれているというのだろうか。  とすれば、本当に私の子供ではないか。  私の頭の方がおかしくて、確かにもう狂ってしまっていて、こんな検査さえも受けるのにふさわしい女になりさがったのではないかしら?  連れて歩いている自分の子供さえ忘れることができるほどのしようもない女なのではないか。  いや、そんなはずはない。  いくら気がフレていると言われたところで、私に、あんな子供がいなかったことだけは確かだ。  第一、私は、汚らわしい男という動物と交わりあったことさえないではないか。  この検査で初めて、体内に、私以外のものを受け容《い》れたのだ。  それも無生物の細くて長い検棒を。  こんなものに初めて犯された女がいるだろうか。そのうえ私は殺人の罪まで、引きうけなければならないのか。  あの出血の意味が、検査官には、わからないのか。  私が処女懐胎で、あの法蔵という少年を生みおとしたとでも言うのならそれでいい。  私は法廷で、自分こそマリアであると言ってやる。  死んだのは、イエス・キリストだ、私は当り屋のマリアだと言ってやる。  いや、やめよう。  私がキレイなのは体ばかりだ。魂の中では、確かに麻薬を飼いならしている女ではないか。  やはり私の魂は半分、いやそれ以上、オカサレているのだ。  私の魂は、私の知らぬまに、ワルプルギスの夜にでもブロックスの山を目ざして、のぼっていったのではないかしら?  そういえば私は夜毎《よごと》に、そんな夢ばかりを見ていないかしら。……  嬰児《えいじ》と狼《おおかみ》の臓腑《ぞうふ》を囲炉裏にくべて、|ヒヨス《ヽヽヽ》やベラドンナのような毒草も加えて、ぐつぐつと、煮たった油を体に塗りつけ、逆十字をきり、悪魔の呪文《じゆもん》を唱え家を出て黒い外套《がいとう》と夜の闇《やみ》に身をやつし、ロウソクに道案内をさせながら暗い森をいくつもいくつも抜けて、苔《こけ》におおわれた岩肌《いわはだ》の見える山の麓《ふもと》から禿鷹《はげたか》が飛び交う悪魔の山の頂を目指して。  ……そうだ、いっそのこと私は、現代の魔女を演じきってしまおうか。  法廷へ自らでむいて、そう言って見せよう。 「ええ、確かに私は、わが子の背中を押しました。そのことに相違ございません。  皆さん、母親が子供に心血を注いで、愛さねばならぬ道理は、もうとうございません。  世間は、なにか母というものが、子供に対して無償の愛情を与えるために生まれてきた動物であるかのように思いこんでいます。  けれども、子供を愛する母親の数のぶんだけ、子供を殺した母親がいるはずですわ。  母親が子供を愛した肖像写真ばかりが、どこのお屋敷でも、金箔《きんぱく》に縁どられた額の中に、体裁よくおさまっています。  けれども、その写真の陰画の時代には母親が子供を殺した姿も写っているはずです。  現像液が、その姿を洗い流してしまい、母親の無償の愛情ばかりが、世に謳われてきたのです。  しかし、東は秦《しん》の始皇帝の母、西はネロの母と、何十人ものわが子を右手にかけて、もう一本の左手で、たったひとりの子供を力ある者として育てました。  それでも母親には違いないのです。  差別する愛情だってあるんです。  いえ私は、子供を愛したいから愛する母親を、とやかく責めたてる気などございません。  ただ、そういう賢母とおっしゃられる方々と同じ数だけ、子供を愛したくないと思っている母親だっているのだ、フライパンで子供を焼いてしまった母親だっている、子供の口に枕《まくら》を押しこんだ母親だっている、全身にタバコの火を押しつけた母親もいる、そして子供の背中を押した母親もいるのだということを知っていただきたい。  そんなことを言うのは、私が母親になったことがないからだ、でなければ、お前は魔女だ、そうおっしゃるのならば、いたしかたがございません。  私はいかにも魔女です。  魔女は、すべての子供を愛することができません。  だから、はっきり申します。  粕羽法蔵という現実の少年は、私の手にかけて殺しました。  代りに、粕羽八月、粕羽正月、粕羽六月という、私の妄想《もうそう》の子供達は、私の少年時代は、私の愛情にくるまれて、どこかの街角で息づいているはずです」 [#改ページ]     20  この一ケ月の間に、粕羽聖子、粕羽法蔵という親子の当り屋事件は、思わぬ方向へ進んで行った。  忘れもしない歴史的な当り屋騒動となったのである。  街角で、突然、母に連れられていた子供が、発作的に車の前へ身を投げ出すという事故が多発したのである。  はじめは偶然であるくらいに思われていた。  しかし、街角という街角から子供が飛び出す事故はやまなかった。  車は、おちおち走れない。  前を見て運転しろ、というよりも、いつもワキ見をして運転をしなければならなくなった。まったく、どうにかしてくれ、この子供達のハヤリ遊びを——ということになった。  この子供達のハヤリ遊びについて、児童心理学者は、「結局、荒廃した現代社会が、子供の真っ白な心を、すさんだものにしてしまったからです」と、すさんだ決り文句を添えた。  中には、車に当る子供が必ず母親と一緒であることから「母と子の絆《きずな》を、もう一度社会全体で考え直す時期がきているのではないか」そんなことをいう児童文学者がいて、なるほどそうだ、と地域の町立図書館が中心となって「母と子の花火大会」とか「母さんが贈る子供のためのメルヘン教室」などが催された。  当然、そうしたものは、一切の効果をあげぬままに、街角という街角から、子供達は飛び出した。  子供滅亡の時も近しと壇の浦より次々と身を投げるがごとく軽やかに、子供達は車の前に身を投げた。  夕ぐれの街角から風をきって、昨日はふたり今日は三人と、子供は、その身を車にあてた。  もうこうなると人々は、「子供の集団体当り」の話が面白《おもしろ》くて、たかだか「粕羽法蔵」という、ちっぽけな子供一匹車に当てた当てない、などという母親のことなどは忘れかけていた。  が、再び粕羽聖子に、目が向けられたのは、ひとりの社会心理学者の紋切り型の発言がきっかけであった。  曰《いわ》く、 「子供が? 集団で? 飛びこむ?……やはり、これは、……そのう……校内暴力とか……あのう……女子プロレスとかいった集団ヒステリーでしょう。光化学スモッグなどの折に、女子中学生が『あら、あの娘も倒れたのなら、あたしだって負けないわ。目が痛い、頭が痛い、クラクラッ』というわけで、われもわれもと倒れていく、心因性集団ヒステリーであると解釈するのが、適切なのではないでしょうか」  これをききつけた精神学界の権威が、なに言うものぞ、とばかり、 「少女達が、バタバタと将棋倒しに貧血をおこすのは、倒れたところで、その身は安全ということを知っているからできるのである。今度の事件は、集団自殺に近い。わが身の危険をかえりみない。ひとつの信仰心が、からんでいると思って間違いはない。皆んなで一緒に死にましょう、とのたまった教祖に続いて、次々と毒を飲みほす信者達、ああした現象に近い。いわば、一種の感応精神病とも集団|妄想《もうそう》とも申し上げるべき事態なのでございます」  と、これを言ったのが大層立派な学者様だ、というので、トタンに、そうだ、そうだ、そうに違いはあるまいと、それこそ集団妄想が始まった。この事件は軽々しく考えるべきものではない、子供達は、車を見ると、当りたい、という信仰心が芽生えるのだ、これは、まさしく伝染性のある精神病だ、さあ大変だ、ということになった。  おそろしがったのは、世の母親、いっそのこと、町という町から角を失《な》くせという無謀な意見も持ち上った。  道という道を一本道にしろ、どうしても角を作りたければ、一本道が東大まできたところで、道を曲げろ、そうすれば、子供が飛びこんでも東大の中だ、入学させろ、と母親の子供への愛情は、かくも深きものか、ああ山よりも高く、海よりも深く、お母さんの愛情|有難《ありがと》う。  しかし、なによりも、子供が街角に飛び出す病いは、伝染性のある感応精神病だということになった。  であれば、病原菌があるはずだ。そう世の母親は訴えた。 「いや、感応精神病は、伝染するとはいえ、病原菌はないんですよ、お母様方」  という声などは耳にも入らない。  伝染するんだから、バイキンがあるに決まっている。誰《だれ》がそのバイキンをばらまいたのかしら?  その折りも折り、粕羽聖子が、世の母親を刺激するような暴言を吐いた。  少年法蔵殺しはなかなか認めないものの、 「母親が子供を愛さなければならない道理はない。子供を愛する母親の数だけ、子供を殺す母親がいるんだ」  などという供述を始めたものだから大変である。  あの女こそ、子供達の敵だ。あの女が、なにかバイキンをばらまいて、子供達の心へ入りこみ、操っているのに違いあるまい。あの女は魔女だ。地上に現われた最後の魔女に違いない——ということになった。  言うまでもなく、民主主義の時代である。 「そうはいっても、まさか今時、魔女などおるまい」少数意見が出た。  言うまでもなく民主主義の時代である、多数決で無視された。 「確かに魔女はいないだろうけれど、魔女と同じだ。こんな形で子供達をたぶらかすのは、母親として最も卑劣だ」  ここまでくれば、もう世論はとどまるところを知らない。  とどまるくらいなら、世論とは言わない。  粕羽聖子は魔女に違いない、現代の魔女だ、ということになった。  現代の……とつけば、少し言葉もヤワラギ理性的な判断が加わっているように聞えるが、なんのことはない、中世がヒステリックに魔女を裁いた頃《ころ》と、なんら変らない。  かくて、ただの当り屋粕羽聖子は、現代の魔女にまでなりあがったのである。 [#改ページ]     21  赤木圭一郎《あかぎけいいちろう》は、この一ケ月が楽しくて仕方がなかった。  町へ出れば必ず、幻の少年当り屋、カスパー・ハウザーに出会うことができた。  夕闇《ゆうやみ》せまる街角で母子《おやこ》連れ立った姿を見れば、必ずその後をつけた。  買い物へ行く母子の影《シルエツト》からはじき出されたように、うすくれないの夕陽《ゆうひ》が、おろおろしていた。  夕陽さえも、母と子の間には割って入れない、母親の右手はいつも、子供の左手をしっかりと握っていた。  母が子供の手を離すとは、とても思えなかった。  ところが、子供が車に当る角では、すずかけの樹《き》がカサカサと騒ぎはじめ、必ず爽《さわ》やかな初夏の風が吹き、母親の髪が少しばかり乱れた。その髪をかきあげようと、母親は握った子供の手をあっさりと離す。  とたんに子供がふっと息をのみ、前に体がつんのめるように、目の前の角を飛び出した。  その後は、カスパー・ハウザーと同じであった、車に当り宙に踊る子供の体からは、溢《あふ》れんばかりに紅色の真珠がとびちり、道路一面に撒《ま》き散らされた。  車が、子供の体を巻きこむこともあった。  そんな時、必要以上に道路は、子供の小さな頭からこぼれだした決意の宝石を吸いこんだ。  日本中の道路から、もこもこと、埋まっていた吸血鬼が頭ばかりを出し、あちらこちらの夕闇に紛れて、流れ出した子供の決意を吸いこんでいった。  そして事件の現場には、いつでもどこでもタレ置いたとも知れぬ白いカーネーションと旧約聖書が残された。  これが当り屋の病いの一部始終であった。  しかし圭一郎は、幾たびか車に当っていく子供の姿を見るうちに、誰《だれ》も気付かない、おそらくは見逃せばそれですむような奇妙なモノを見始めた。  母親の白くてほっそりとした、もう一本の手を見つけた。  子供が車に身を投げるほんの少し前、よくよく気をつけてみれば、髪をかきあげた母親の右手のその脇《わき》の辺りから、いつもぬうっともう一本の手が伸びて、子供の背中を気付かれぬほどの力で押すのである。髪をかきあげる母親の手が、湖の水面にでも映ったかのように、同じ動きをしながら現われたその手は、子供の背中を優しく押す。  子供は自分がよろけたと思うばかり、母は自分の無意識に出したもう一本の手に気付かない、圭一郎ばかりが、母子の後ろで愉快そうに、伸びていく母親の三本目の手を眺《なが》めていた。  他人に話しても、どうせ作り話と信じてはくれないだろう、幻の手を眺めながら、圭一郎ひとり悦に入った。  これは、ただ子供の間にだけハヤッている病いではない、母子の病いだと、圭一郎ひとりは、とうに気付いていた。粕羽聖子の気持ちがわかるのは俺《おれ》ばかりだ。  それがまた、圭一郎を嬉《うれ》しがらせた。  今、この世でただひとり、自分ばかりが、この三本目の腕の正体を知っていた。  この白い腕こそ、幻の少年カスパー・ハウザーを暗殺せしめた腕と同じものに違いあるまい。そう推理した。  粕羽法蔵という少年の死を、カスパー・ハウザーの死の上に重ね合せてみた。 [#改ページ]     22  カスパー・ハウザーが暗殺された日——  十七年も、地下牢《ちかろう》に閉じ籠《こ》められていた少年が、ニュールンベルグに現われ、数年が経《た》つ。  カスパー・ハウザーも漸《ようや》く、外の世界の風や樹々《きぎ》のざわめき、星のきらめき、四季おりおりの草花の香りになじみ始め、自分の正体なるものに関心を示す。  自分は一体何者か?  十七年間も、絶えず、するすると空にほどかれた自分の指紋、そいつを手元に手繰りよせ、再びうずまき状にして、本当は自分が何者であったのか? カスパー・ハウザーは知りたくて仕方がない。  世間の人々の言うが如《ごと》く、自分は隣りの国のバーデン大公国のお世継様なのだろうか。それで、ついこの前は、煙突掃除人と称した輩《やから》、黒い男が、僕《ぼく》を殺そうとしたのだろうか?  そんなこんなを、たどたどしく考えているカスパー・ハウザーのもとに、折しも、ひとつの報《しら》せが届く。  しんしんと雪降りつもる、ニュールンベルグは十二月十四日の朝のことである。 「カスパー・ハウザー、私は、お前が生まれた日のことについて、とてもよく知っている男だ。君のお母さんのことについて誰《だれ》よりも、よく知っている男だ。日の暮れた時刻にアンスバッハの公園でお目にかかりたい」  報せを受けてカスパー・ハウザー、とるものも、とりあえず、アンスバッハの公園を一路目指して出かけていった。  日暮れにはそこへ着いた。  やがて男が現われた。  男の顔は、よくわからない。  長い外套《がいとう》を着込んで襟《えり》を立て、シルクハットをかぶっていた。  どういう意味なのかわからなかったが、男は、婦人用のハンドバッグを、カスパー・ハウザーの方に差し出し、 「この中に、君の母さんの真実が入っている」  うけとったつもりのカスパー・ハウザーが、うっかり、そのハンドバッグを取り落とす。  雪の上に、ハンドバッグの中味が、ばらまかれた。  小さなメモと、青い財布が、カスパーの目についた。  カスパー、青い財布の方を、手にしてみようとした。  その瞬間、男の外套の下から、雪の光にハエて、鮮やかな薄刃の短刀が現われた。  たったひと突きであった。 「母さん、母さん……来て」  そう言いながら、カスパー・ハウザーは、どうっと雪の上にもんどりうった。 ≪ここに、正体不明の人物、正体不明の人物の手により倒れたり≫  アンスバッハの公園に残る、カスパー・ハウザーの記念碑には、今も、そう記されている。  粕羽法蔵とカスパー・ハウザー、それはただ名前の一致ばかりではなかった。  圭一郎は、こう思っていた。  カスパーを雪の日に殺した男、その男が長い外套の下に隠し持っていたものは、ただ、光る短剣ばかりであったか。  いや、そうではない。  そこには、「母」という名が隠されていたはずだ。  黒いシルクハットの下からは、栗色《くりいろ》の麗《うるわ》しい香りの漂う長い髪が現われ、長い外套を脱ぎ捨てれば、あのなつかしく柔らかい乳色の母の体があったはずだ。  圭一郎は、カスパー・ハウザーを殺した男を母親と決めている。  カスパー・ハウザーは、母親の手によって、殺された子供だと思っている。  お世継様の問題であるにせよ、人造人間であったという理由があるにせよ、ともかく、カスパー・ハウザーは、母親には必要のない子供であった。  いてはならない、この世に存在してはならない現実の子供であったに違いない。  現実の子供を殺したカスパーの母親の瞳《ひとみ》には、妄想《もうそう》の子供を生かそうとしている母親のタクラミがあるはずだ。  圭一郎は、カスパー・ハウザーの母親をそうだと決めていた。  そして、粕羽聖子という女当り屋の姿も、まさしくそう捉《とら》えていた。  おそらく、これほどに車に当る少年が増えた、ということは偶然ではあるまい。  みな、母親の三本目の手によって気付かれぬほどに背中を押されているのではあるまいか。その妄想の白い手は、どうしたって粕羽聖子と関《かか》わりがあるだろう。  ヒステリックに世の母親達が、粕羽聖子を魔女呼ばわりすることは、半分は真実である。  では、もう半分の真実とはなにか。  それは誰にもわからないはずだ。  圭一郎は、そう思っていた。  もう半分の真実は、粕羽聖子と、複数のカスパー達、複数の妄想の子供達の間でだけわかっていることだろう。  そこには、われわれの見えない世界があるのだろう。  粕羽聖子が、大東亜文化圏創造社と銘打ってイカモノ広告を出していたごとく、やはりこの世には、子供時間というものが、確かにあって、白い実を頬《ほお》ばると、頭の中に広がるという、そんな時間があって、そこで粕羽聖子と複数の子供達は通じあっているのではあるまいか。  感応精神病とは、"folie a famille"と呼ばれる家族の病いである。  血の通っている者の中で、とりわけ、母と子との間におこりやすい病いである。  一人の母の妄想が、もう一人の子供へと。  日光に当ると火傷《やけど》すると信じ始めた母のコトバを、最初は疑いながらも、やがて喉《のど》まで飲みこみ、そしてゴックンと信じこみ、雨戸を閉めきったまま、家に閉じ籠もってしまう子供、妄想の落し穴にはまってゆく子供……。  圭一郎がそこに気がついた時、圭一郎は、すでに、この妄想の病いの落し穴に陥っていた。  それに気付くということこそ、その病いに取り憑《つ》かれるということであった。  粕羽聖子の妄想を外側から見ることができなくなっていたのである。  いわば、圭一郎は、粕羽聖子の妄想の中へ入りこんでしまっていた。  赤木圭一郎は、あまりにも粕羽聖子の身になってこの事件を考え続けているうちに、粕羽聖子が言う、白い実の意味も、粕羽聖子が見る奇妙な世界も「当りたいから当る」という気まぐれも、すべて理解してしまった。  すべてわかってしまって、気がついてみれば、圭一郎も粕羽聖子の妄想の子供となっていた。  夕暮れがせまると、無性に車に体を当てたくなる。不思議な気持ちに憑かれていた。 [#改ページ]     23  圭一郎は、一通の手紙を郵便局の窓口に差し出していた。  郵便局へ着くまでには、いくつもの角があり、そのたびに圭一郎、バッとばかり飛び出した。  不幸なことに一度も当らずじまい、この、おたふくカゼのような少年の病いに圭一郎は罹《かか》ったままである。  おたふくカゼと言えば、キコエもほどほどだが、ガキしか罹らぬとはいえ、恐るべき妄想《もうそう》の病いに取り憑《つ》かれた圭一郎青年のゆくてに、なにが待っているか。  もうこうなると、誰《だれ》もわからない。  郵便局の中には、ラジオの音と七月の風、丸く切られている窓口の中へ、圭一郎、腕を突っこんで、手紙を差し出す。と郵便局員、またの名を一地方公務員、受け取ってくれる。 「速達でお願いします」  という圭一郎の願いに、封書の上にパーンとばかり細く長く赤いスタンプを押した一地方公務員、ふと見れば、宛名《あてな》には、「粕羽聖子様」とある。  さすがに粕羽聖子といえば、誰もが勝手知ったる、あの事件、浜の真砂《まさご》はつきるとも、その名も高き粕羽聖子というくらいに、知名度の高い名前、少々いぶかしく思うものの、そこは地方公務員、「こんな手紙を出しちゃ駄目《だめ》だよ」と、とやかく国民に言える筋合ではない。  圭一郎、すでに粕羽聖子の呪《のろ》いとも祈りとも知れぬ思いに、半分以上取り憑かれているから、目もうつろ、すっかり、妄想の子供になりきっている。  圭一郎、カスパー・ハウザーになった気持ちで、ポケットの中には磁石を入れ、やたらに鼻をくんくんならして「あ、郵便切手の臭《にお》いがする。今度は小包みの臭いだ」などと、カスパー・ハウザーの嗅覚《きゆうかく》の鋭さをひけらかしている。  本人は、ひけらかしているつもりだが、郵便局の中にいる人間達にとっては「おい、こいつは、なんだ? 少し|あれ《ヽヽ》か?」というぐらいにしか見えない。  そうやって圭一郎を見ている視線が、よけい圭一郎の取り憑かれた妄想の中で、新たな妄想を生んでいく。 「お? こいつらは、どうも俺《おれ》の嗅覚の鋭さに気付いたな、オソレ入ったかバカモノドモ、俺はただの血筋ではない、この封書の宛先を見ろ、粕羽聖子といえば、聖《セイクリツド》カスパー、でるところにでれば、女王様の響きだってするだろう、俺が王子でカスパー・ハウザー、わかったか、この腰ぬけども、腑《ふ》ぬけども、犬侍《いぬざむらい》め」と、ますます有頂天になる。  粕羽聖子へ宛てた手紙の中が、一段とふるっている。  なりすましたカスパー・ハウザー、まさにそのもの。 「いとしい、いとしいお母様、私はあなたの妄想の子供、確かにあなたを母親として受け容《い》れました。私は確かにその昔、あなたの手で殺されはしましたが、あれを機会にあなたの妄想の中にすみついております。なにしろ、あの頃《ころ》は、あなたが忌《い》み嫌《きら》うべく、私は現実の少年だったからです。現実の少年は、小便ももらせば、カエルも殺す、食べこぼしもすれば、鼻もたらす、もちろん、うんこは所知らず、湯舟にぷかりと浮かべたりもします。確かに汚ならしい存在です。ゆくゆくは、あなたがもっともこの世で忌み嫌う男という獣になってしまうでしょう。しかし、今、自分は妄想の子供となりました。成長はいたしません。御安心下さい。あなたを、その囚《とらわ》れの身からお救いします。いつかは、妄想の子供達、然《しか》るべき日に必ずや蹶起《けつき》し、あなたのその身をお救いいたします。どうか、それまで、なにとぞ御自愛下さいませ」  と、常人が読めば、ギョッとするような文面、いよいよもって赤木圭一郎も、ここまで粕羽聖子に取り憑かれている。こうなると、この病いのオソロシサ、いかばかりか。赤木圭一郎にしてこうである。  まして、子供という子供は、車に身を当てて絶滅していくのだろうか。  もう、救いの手だては、この世にないものか。  そう思われていた、この妄想の伝染病、日本中を震撼《しんかん》させた当り屋騒動、あっさりと大団円を迎える。  粕羽聖子が罪状を全面的に認めたのである。 「私はいかにも粕羽法蔵の母親で、この手で背中を押し、車に当て、殺人を犯しました」  かくて、粕羽聖子の呪いは消えた。  と世の母親が思い始めると同時に、実際子供達が、街角から飛び出す事故が激減していった。  こうしてみると、当り屋の病いは確かに粕羽聖子から伝染していったのだ。彼女こそ魔女だったのだ、と改めて世間のものは、感じ入った。  とにもかくにも、粕羽聖子の取り憑いた思い、「母が子供を愛せぬこともある」という思いは、母親の三本目の手とともに、煙りのごとく立ち消えていったかと思いきや、赤木圭一郎ばかりは、その思いからさめなかった。  圭一郎が、粕羽聖子の自白を耳にしたのは、まさに郵便局の、丸く切られた窓口の中へ手を突っこんだ瞬間である。  ニュースは、ラジオから耳の中へ、小さな虫のように、いきなり飛びこんできた。  粕羽聖子、実子殺人自供のニュースを聞きながら、赤木圭一郎は、無性に悔しく腹立たしく、なかば朦朧《もうろう》とした。  七月の郵便局、人いきればかりでなく、むんむんと猥《みだ》らな思いが立ちこめていた。  半分はいい、半分はそうかも知れない。  母さんは殺したのだろう、現実の少年を。  けれどもどうして、もう半分の真実を母さんは偽るのだ。もう半分の子供達を殺してはいません、と最後まで言い張ってくれなかったのだ!  すっかり粕羽聖子の子供になりきってしまった圭一郎、丸く切りとられた郵便局の窓口を見て、ふと場外馬券売場の窓口そっくりと思うや、その馬券売場で、あの四《よ》ツ辻《つじ》で、むざむざと車に飛びこんでいった粕羽法蔵の死を思い出した。  母さん、あなたのために、きっと、あの現実の少年は、死んで行ったのですよ。  と、恨みがましく粕羽聖子を思った。  すると、その窓口が今度は、拘置所の面会の窓口に思われた。  他人は面会を許されず、家族だけが許される窓口だ。  粕羽聖子と妄想を共有することができる家族ばかりの許される窓口だ。  そこに、あの麗《うるわ》しい聖子の、白い汚《けが》れを知らぬ、少し窶《やつ》れた横顔が現われた。  どうして、つまらぬ自供をしたんですか!?  つま先立ちで、窓越しに、聖子に、つかんでかかろうとした、その時、窓口の向うから圭一郎の腕を、ぐいいっとばかり、ひっぱる小さな手がある。  それも、一人ではない。二人、いや、三人の力で、彼をひっぱる。  圭一郎、両足を地面につけて、腰をおとし、踏んばろうとするが、ぐいいっ、ぐいいっと体は、複数の何者かの手により、その窓の向うへ、直径三十センチもないはずの小さな穴の中へ、圭一郎は、体ごと引きこまれていく……。  圭一郎が小さな穴へと入りこんでいったその先の話は、圭一郎の妄想かもしれない。あるいは、圭一郎が入りこんでいった粕羽聖子の妄想の中なのかもしれない。  ともあれおそらく、あの忌《いま》わしき当り屋事件、少年の集団飛びこみの事件に関《かか》わる現実の話は、ここまでである。  見える話だけで十分の読者は、ここで本を閉じて欲しい。  私はこれから、見えなかった話をするのだから。  妄想の子供達、粕羽八月、粕羽正月、粕羽六月の話である。  そう、赤木圭一郎の腕を小さな穴の向うからひっぱった、か細き腕の正体は、三人の子供達である。  赤木圭一郎が、ひっぱりこまれた丸い穴の中から出てみれば、そこはニュールンベルグの冬であった。  そこに、オーガスト・カスパー、ジャニュアリー・カスパー、ジューン・カスパー、三人の少年がいた。  圭一郎がでてきた小さな穴は、少年達が炭を放りこむニュールンベルグのストーブの口であった。 「こいつが、ストーブの中に隠れていやがった」  圭一郎の耳に、八月《オーガスト》少年のコトバが聞えた。 [#改ページ]     24 『フランダースの犬』は、話の仔細《しさい》を知らずとも、でくのぼうな|なり《ヽヽ》をした犬が、犬の分際で、なぜか人道主義を働くという、たわけた物語であることぐらいは知っている。  同じ原作者の作品に『ニュールンベルグのストーブ』というのがあり、主人公の名が、オーガスト少年という。  圭一郎、どうやら、そのストーブの中から、ひょっこり現われた。  現われたとはいえ、『ニュールンベルグのストーブ』という童話《メルヘン》の世界をかきまわそうというのではない。  間借りしているのは「ニュールンベルグ」と「ストーブ」と「オーガスト」という三つのカタカナばかり、とやかく言われる筋合はない。  なにしろ、これは妄想《もうそう》にすぎない。と、あらかじめ責任点火——妄想のストーブに火を点《つ》ける時は、責任を転嫁《てんか》しろというほどの意味あい。  ひとたび火のついた妄想のストーブが、いかばかりにニュールンベルグの冬を燃やし尽していくか、とにもかくにも圭一郎の現われ出《い》でたる目の前に、長き煙突のついたストーブ、これを囲んで、手をかざし話をしている三人の美しい少年がいた。  八月《オーガスト》、正月《ジヤニユアリー》、六月《ジユーン》、妄想の少年達に国籍はない。  言葉は通じる。悪《あ》しからず。  三人の少年、まじまじと、圭一郎を見る。見開かれた眼《まなこ》には、明らかに驚愕《きようがく》の色、ありあり。  圭一郎とて、それは変らず。  なにが、どうして、どうなったのだ、と、ただ、|もう《ヽヽ》、|そう《ヽヽ》している他《ほか》ない、というので、|もうそう《ヽヽヽヽ》というコトバができたくらい。  他人は誰《だれ》も信じない。  つまらん、くだらん、作り話だ、SFだ。圭一郎、そう言われるのは、痛くも痒《かゆ》くもない。  ただ自分だけは、この今起ってしまったこと、起ろうとしていることを信じなければならない憂《う》き身のつらさ。  アルプスの見える町に自分はいる。  六つにも八つにも仕切られた欅《けやき》の窓の向うは、雪降りつもる景色。  インスブルックの城が雪化粧して、遠くにほの見える。  その遥《はる》か向うに、峨々《がが》と聳《そび》ゆるアルプス連峰、近くに見える樹々《きぎ》は、栃《とち》の木も、榛《はん》の木も、すべて緑の色は失《う》せて、雪の花びらを枝にのせているばかり、そんなニュールンベルグの冬に、圭一郎は確かにお邪魔している。  これは、自分の勝手知ったる景色ではない。  圭一郎、思うに、こいつは誰の夢の中だ? 俺《おれ》の? いや、俺は、こんなにも、はっきりしている。 「すんでのところで、燃やしちまうところだったぜ、アハハ」  正月《ジヤニユアリー》少年、おめでたそうに笑う。  燃やしちまうとは俺のことか? 笑いごとじゃないぞ、と圭一郎、なにかを言わんとするが、ハッとする。 「お——あん・あ・あいえ——」  奇妙な音声が、でるばかりで、コトバを忘れてしまっている。  向うの話は、わかるのに、こちらは何も言えない、この辛《つら》さ。  悪夢によくある話、身に覚えがないとは、言わせない。  もう一人の少年、六月《ジユーン》、いまにも泣き出しそうな顔さえして、八月《オーガスト》の背中に隠れて、オソルオソル、圭一郎の音声に耳貸しながら、 「こいつ唖《おし》か?」  唖にされては堪《たま》らないと、圭一郎、慌《あわ》てて出す声がこれまた、 「い——あ——う——」  よく耳を澄ませば「ちがう」と言っているのがわかる。 「どうする?」 「僕達《ぼくたち》の今の話を聞いていたかな」 「どうしよう、八月」 「大丈夫だろう、こいつは唖で、そのうえ、きっとつんぼだ。なあ、六月」  圭一郎、八月、六月というコトバで、ぴんとくる。  この少年達は、粕羽聖子が言っていた妄想の子供達だ。  とすれば、なにをしでかすかわからない。  とたん、三人、さっと目配せ、圭一郎を縛り上げる手際《てぎわ》の良さ、再び、ストーブの中へ圭一郎を押しこめて、 「こいつは、ストーブの子供なのか?」 「ストーブは子供を産まないんだって母さんが言ってたぞ」 「どうして、リスやカンガルーは子供を産むんだ?」 「動物だからな」 「動物じゃなくても子供を産むぞ」 「ほんとか?」 「この前、ポケットの中にてんぷらを入れてたんだ。そしたら子供を産んだ」 「てんぷらが、てんぷらを産んだのか?」 「うん。しばらくして、手を突っこむと、ポケットの中で、ふたつになってる」 「それは、てんぷらがふたつに割れたんだ」 「でも、そのひとつはコロモなんだ。それで、てんぷらもコロモを産むんだってことがわかった」 「お前は、まだ子供《コロモ》だから、子供《コロモ》のことを子供《コロモ》って言うけれど、てんぷらのコロモと子供《コロモ》とは違うんだぞ」  実に、あっけらかんとした会話。  圭一郎は、ほっとした。  この無垢《むく》な魂達が、圭一郎を傷つけることはない、と思ったところが、あにはからんや、 「今日の裁判で、何人死んだか知ってるか?」 「七人さ」 「少ないな」 「たった七人ぽっちじゃ、明日の火あぶりは面白《おもしろ》くない。うめき声なんかも、少ないだろうな。あれを聞くのが、好きなんだ」  たった今、コロモ、コロモと言った口から、裁判、火あぶり、うめき声と、コトバが出てくる。  子供の無垢ほどあてにならないものはない。  と、圭一郎、聞えぬふり、顔色のひとつも変えずに、ぶっそうになってきた話に聞き入る、一体何の話だろうか? 「六月、お前の最近の証言の仕方は手ぬるいぞ、なまじ同情心なんかおこすな。体を震わせて、もっと泣きわめけ。舌も噛《か》まんばかりに、けいれんして、奥歯を噛んで泣き叫べ。だいたい裁判官とか、市の参事会の奴《やつ》らなんてえのは、子供達の言うことは、なんでも信じる、色が白くて清らかな顔をしているだけで、ほいほいとなんでも信じるんだ。目が澄んでいるっていう理由だけで信じてくれるんだ。だから誰でも構わない。その女です。その女が僕に取り憑《つ》いたんです。その女こそ魔女なんですって言ってやればいいんだ」  圭一郎は、おぼろげに話がわかってきた。  どうやら、ニュールンベルグの町に魔女狩りの嵐《あらし》が吹き荒れ、魔女裁判の雷鳴|轟《とどろ》く、そんな季節に俺は入りこんだみたいだ。 [#改ページ]     25  このストーブの中は、一体|誰《だれ》の妄想《もうそう》の中だろう、ただ粕羽聖子の妄想の中なのだろうか。 「六月、なにを、じめじめとした顔をしているんだ。もっとカラッと、正月のようにおめでたい顔をしろよ」 「でも、なんだか悪いことをしているようで……」 「悪い、悪くないは、裁判が決めてくれるんだ。アハハ」  笑うのは、いつも正月だ。  でも、でも、と、ためらいがちに湿っぽい六月、 「でも、でも……僕達《ぼくたち》の証言があるから、魔女が裁かれているんだ。『はい、今日突然、馬車の前に身を投げました。ええ、その時、魔女に取り憑《つ》かれている気がしました、いつのまにか馬車に当る時、心の中にいつも魔女が潜んでいます』そう証言するからだよ、そして裁判官に聞かれるんだ、『魔女の名前は? 誰でしたか?』『それは、その……』『遠慮なく言いなさい、カンブツ屋のおかみさんに間違いないね』『……』『沈黙は、肯定とみなします』それで、カンブツ屋のおかみさんは魔女になった。僕、いつも、ミリン干しを貰《もら》っていたのに悪いみたいだ」  六月少年には、お世話になったのに、申しわけないという倫理感があるようだった。  そんなものは、笑いとばせ、とばかりに正月少年、 「アハハ、お前|馬鹿《ばか》だな、六月。馬車に当る時の事を思い出せ、いつも当りたいって急に思うだろう。その気持ちは本当だろう」 「うん」 「アハハ、あれは、お前、気付いていないけれど、確かに魔女が、口から入りこんで、お前を、たぶらかしているのさ」 「でも、でも……八月も、そうかい?」 「そうだ。そうに決まっている。僕らは悪くない! ふっと当りたくて当るんだ! 悪いのは口から入りこんだ魔女だ」  と、八月少年は、燃えている。 「でも、でも……カドのカンブツ屋のおかみさんが、魔女だとは思えないな。もしも、でっちあげだったら、どうする?」 「アハハ、六月、気にするな、僕達だけじゃない。でっちあげは皆んなやってる。夕方にはふらっと馬車に当って、後は魔女にとりつかれてしまいました。ニュールンベルグの子供という子供がそうやって魔女の名前を、あげつらっている。今月だけで、もう千人以上もの魔女が火あぶりだ。笑ってすませろ、アハハ」  八月も六月を励ます。 「そうだ六月! 正月の言う通りだ! 考えてもみろ、この町から魔女の火あぶりがなくなってみろ、ねぶた祭りの火が消えたどころの騒ぎじゃないぞ。ただでさえ、辛《つら》い冬なのに楽しみがなにもなくなる。火あぶりを見にくる百姓達も、みな口では『ひどいことをするもんだ』などと言いながら『あんなに早く燃やさずに、半日もかけながら、もっとナマヤキにして焼いていけばいいものを、もったいない。楽しみも……イヤ、魔女の苦しみも、いやまさるっていうものなのに、けしからん』なんて思っている。  火あぶりの無い日なんか、そりゃあ、心はスサんだものだ。仕事を終えても楽しみがない。今日は火あぶりのナイターもないのかって。早く魔女が現われないか、どこかの街角で、子供が飛びこみ、早く新しい魔女が訴えられないか、心待ちにしている。火あぶりの雨天中止も面白《おもしろ》くはないが、火あぶりの途中に雨が降って、コールド火あぶりになった時なんか、『せっかく魔女の足の先がススになってきたところなのに、くそう』なんて、思い思い、百姓は家路についているんだぞ」  八月少年、目もらんらんと一気に喋《しやべ》り、ゴクリと、唾《つば》をのみこんで再び、 「第一、六月、お前は、まだ見たことがないだろうけれども、火あぶりの前に、おぐらい密室で魔女を拷問《ごうもん》する時の風景は最高に素敵だぞ」 「アハハ、八月、お前見たのか?」 「見たさ、インスブルックの町まで行って、魔女の悲鳴が聞えるアイヴォリー色した拷問室のイバラの壁をよじのぼり、鉄格子《てつごうし》の陰から、……一口《ひとくち》に拷問と言ってもな、検査と呼ばれているのと、本格的なのと、ふた通りあるんだ」 「アハハ、詳しいな八月」 「でも、でも……面白そうだな……でも、でも……どんな検査をするんだい、八月」 「一番、ヤワなのは秤《はかり》検査だ、これは、でっかい天秤《てんびん》の皿《さら》の上の右側に魔女をのせて、左の皿に重いものをのせる」 「重いもの?」 「地球とか象とか、とてもかなわないもの。それでそいつより軽ければ、魔女なんだ」 「魔女は軽いのか?」 「ちりよりも軽い。ほうきで飛ぶくらいだもの」 「アハハ、それから、どんな検査があるんだい、八月」 「針検査、これはな、まず魔女を裸にする。そして毛という毛を剃《そ》ってしまう」 「でも、でも……剃ってどうするんだい?」 「なにもかも、毛を剃りあげて、毛穴を広げたところで、全身にからしを塗って塩水につけるんだ」 「アハハ、因幡《いなば》の白兎《しろうさぎ》だ」 「その全身を針でもって、チクチクと刺していく、一ケ所でも、痛がらない所があったら、そこが悪魔の斑点《はんてん》さ。魔女には、針で刺しても痛くない斑点がある。そこには、666って、6の字が三つ、さくらんぼみたいにならんでいるんだ」 「アハハ、面白い、他《ほか》には、どんな検査がある?」 「キワメツキは、水検査だ。右手の親指と左足の親指、左手の親指と右足の親指とをはすかいに縛る。そのまま、馬の尾に結びつけ、ひきずって川の水の中へ、投げ入れる。魔女ならば軽いから浮く、浮いてきたら魔女さ」 「でも、でも……いつまでも、いつまでも、いつまでも、いつまでも、いつまでも、沈んでいたら死んじゃうじゃないか」 「だから面白い。放っておけば、いやでも浮き上る。死にものぐるいで沈もうとする、もがけばもがくほど浮き上り、口から目から鼻から水が入る、けれどもほとんど浮き上って、みんな魔女さ。検査で魔女と決まれば、後は、『私は魔女です』と自白させる。これがいよいよ本格的な拷問だ」 「でも、でも……面白そうだな……どうするんだい?」  一番心優しそうな六月少年でさえ、話に夢中になってきていた。  これが、妄想の子供達の姿なのだろうか。  街角に飛び出す子供の心の中へ忍び入った影なのか。「当りたいから当る」あの気まぐれな決意の宝石には、こんなにも残忍でありのままの心が潜んでいるのか。  コロモ、コロモという心の裏側には、火あぶりにもまさる心があるのか。  それにしても三人の少年達は今、圭一郎のことなど眼中になく、魔女狩りに夢中になっている。しかし、ふと圭一郎を思い出した時、三人は何を言い出し、何をやり始めるか、思うだけでも圭一郎は恐ろしかった。  ああ、夢なら、もうここまででいい、醒《さ》めろ、醒めろ、とばかり、ニュールンベルグのストーブの中で願う圭一郎の心も知らず、八月少年は、しっかりと圭一郎のことを覚えていた。  ちら、と圭一郎に目をやると、 「そうだ、六月。お前のために僕が見てきた拷問の数々を御披露《ごひろう》しよう……この男を使って」  ビクッと、体に恐怖の鉄の棒でも入ったような心地のする圭一郎、夢から醒めろとばかり、大きな声を出すが、 「ア——エ——オ——!」  因《ちな》みに、「やめろ」とも「醒めろ」とも聞えた。 [#改ページ]     26  はたして圭一郎は、その妄想《もうそう》の中から飛び出すことができたか。  できるくらいなら、醒《さ》めることのできる夢ならば、妄想であるとか悪夢であるとか言ったりはしない。  いつまでも、いつまでも醒めないから、|もうそう《ヽヽヽヽ》しているほか、仕方ないのだ。  これは、本当に粕羽聖子の妄想の中だろうか?  拘置所の白いシーツの皺《しわ》に、アルプス連峰を俯瞰《ふかん》しているとでもいうのか?  ならば、俺《おれ》を、もうこの妄想から出してくれ、妄想のおっかさん。  出してくれないというのは、おそらく、これが、誰《だれ》の妄想でもないからではないか?  所有格のない妄想。  ダレのものでもない妄想。  無名な妄想。  そんな中に俺は嵌《はま》り込んでしまったのか?  ダレのものでもない妄想?……それは、なによりも現実のカリソメの姿ではないのか。  これは、本当に、今、おこっていることではあるまいか。  俺の頭は、狂ってしまったのだろうか?  圭一郎は、ガクガクと震える膝《ひざ》と顎《あご》とを、どうすることもできぬままに、みじめな姿を、三人の少年の前に曝《さら》した。 「アハハ、こいつ震えている」 「でも、でも……僕《ぼく》らの話がわかるんじゃないか、こいつ」 「だったら、なおさらだ。こいつは、きっと魔男だ。それで震えているんだ。試しに拷問《ごうもん》をやるどころじゃない。僕達の手で裁いてやろう。体中に油薬《ガルベ》を塗ってやれ、その手に山羊《やぎ》の皮でできた人形を握らせて、猫《ねこ》の首を口につっこんでやれ」  言うわ、言うわ、ガキのくせに、とは、第三者の余裕、当の圭一郎、もうなにが始まるものか、内心、恟々《きようきよう》である。 「いいか、まず拷問に先がけては、予備拷問なるものがある。これは、手足の爪《つめ》を全部|剥《は》ぐ。剥いだ後に釘《くぎ》を刺して、唐辛子をかける、それを山犬になめさせる。なめた山犬はオレをなめんなとばかり、さらにかじる。かじればさらに辛い。さらに山犬は逆上する、という尻上《しりあが》りに激しさを増す拷問だ」 「アハハ、そのくらいのことで『魔女だ』って自白する奴《やつ》はいないさ、八月」  俺なら、とっくに自白しているという圭一郎の思いは届かず八月少年、 「それは予備さ、ほんのこて調べ、本格的なのはこの先だ。右手、右足、左手、左足、それぞれ四肢《しし》を四頭の馬の尾につないで、バラバラに走らせる。殆《ほと》んど手足は抜けてしまう。胴体ばかりが、だらしなく残る。手も足も、ぶらあんとしたまま胴体にくっついている。『お前は魔女か!?』自白しない。今度は、ハッケルの椅子《いす》だ。この椅子の表面は鉄の棘《とげ》、芝生のようにびっしりと覆《おお》っている。椅子の中は、かまどになっている。魔女を椅子に縛りつけて、椅子は次第に熱くなる。鉄の棘の一本一本の先が、少しずつ朱色をおびる。赤くなる。体の表面が焼けた臭《にお》いがする。髪の毛が、燃える時の臭いだ。やがて地獄の業火《ごうか》の色した一万本の鉄の棘に変る。黒光りしていた鉄の椅子が、今や熔鉱炉《ようこうろ》のように赤い。焼けただれた皮膚から深紅《しんく》の血が流れ、ジュウジュウと朱色にまざりあう。全身がドロドロと溶け始めて、いよいよ、肉の中に鉄の棘が、ジュウジュウ音をたてながらめりこんでいく、お前は、これでも、魔女ではないのか、子供の背中を押したのは、お前だ、馬の前に身を投げさせたのは、お前だ!」 「もういいよ、八月」  六月少年は、そう言いながら、ポロポロと大きな涙を、宝石のようにこぼしている。わがことのように。  見れば、アハハと笑っていた正月少年までが、おろおろ、おろおろ泣き出している。やがて大きな声に変っていった。  八月少年も瞳《ひとみ》から、つーっと涙が流れた。  やおら、圭一郎の方に向き直ると、 「安心しろ、唖《おし》かつんぼか知らないが拷問なんかしない。今の今のたった今、この責め苦に会っているのは母さんだ。僕らの母さんだ。母さんが魔女狩りにかかったんだ」  そういうと、三人が三人とも、息のできないほどに泣き始めた。 [#改ページ]     27  その昔、インディアンは、馬に跨《またが》り、攻め寄せてくる騎兵隊を見て、半人半馬だと思った。  ケンタウロスが、やってきたと思ったのである。  馬に跨るという知識がなかったからであるが、妄想《もうそう》の正体とは、こんなものである。  ケンタウロスごときの恐きものかは、とインディアン、果敢にも立ち向った。  インディアンの弓矢が、先頭の騎兵隊の一人に突き刺さった。馬の上から、どうっと、まろび落ちた。  インディアン達はそれを見て、ケンタウロスがまっぷたつに割れたのだと思った。  割れてなお走り続けるケンタウロスの下半身を見て初めて恐悸《きようき》するインディアン、西方へ西方へと逃げ出した。  こうして、アメリカの開拓の歴史は、始まったのである。  インディアンが、もしそこで妄想を見なければ、なにを騎兵隊ごときに、背中を向けたりはしなかったはずである。  妄想そのものよりも、妄想がまっぷたつに割れた時、人は、どうしようもなくそこから逃げ出したくなる。  まさに今、赤木圭一郎の心を把《とら》えていたものは、その気持ちである。  目の前で、おいおいと泣き始めた三人の少年を見ながら、ケンタウロスに化けて疾駆していた、冷やかな無名の妄想が、まっぷたつに割れていくのを見る思いがした。  圭一郎は、インディアンのように、その場から逃げ出したかった。  この後も、妄想は、次々と、まっぷたつに割れていき、ちりぢりになってゆくのだろう。  そうした時、圭一郎は、どうやって、この悪夢の中から醒《さ》めればよいのかわからなかった。  小さな水晶玉に人間が閉じこめられたり、鏡の中へ人間が閉じこめられた話はある。そうした話であれば、やがて呪文《じゆもん》が解けて、あるいは、なにかのはずみに、ふっと夢から醒めて、水晶玉や鏡の中から、出て行くことができるだろう。  しかし閉じ籠《こ》められたまま、その水晶玉や鏡が、次々に割れていく時、はたしてその中から、どうやって、出て行くことができるのだろう。  妄想の残忍な上半身がもげおちて、残された妄想の下半身は、あまりにもあどけない少年の顔であった。  今、目の前にいる彼らは、母を思う子供にすぎなかった。  魔女裁判にひっぱられていった母を慕う子供であった。  コロモ、コロモというあの子供《コロモ》達に戻《もど》っていた。  もしかすれば、たった今、拷問の話をし続けた三人の姿は、圭一郎ただひとりが見た、ちりぢりに割れた水晶玉のカケラの中の夢であったのかもしれない。  とたんに呪文がとけたように、圭一郎は言葉を思い出した。 「八月、俺《おれ》は、君達の母さんを救おうと思って、このニュールンベルグのストーブの煙突の中を伝ってやってきたんだ。君達の母さんは、現実界で『私は、魔女でございます』と自白してしまった。しかし、ここでは、そうはさせまい。その前に救いだそう」  八月少年はキョトンとした。  急に喋《しやべ》り出した圭一郎に吃驚《びつくり》していた。 「でも、でも……今日の裁判で、何人火あぶりになったか、知ってるのかい?」  という六月少年の相変らず、しめりがちな問いにすかさず圭一郎、周知のこととばかり、 「たった七人だろう」 「たった!? 七人も火あぶりにかけられれば十分だ。それとも、あんたは魔女でもない人が燃やされるのを見たいのか!?」  八月少年のその変りよう、熱血感動ぶりに、圭一郎、いささか面喰《めんく》らう。 「アハハ、やめろよ八月、この人は味方だ。母さんを魔女だと思っていない人だ。アハハ……」 「笑ってる場合か、正月……僕《ぼく》らが奇妙な遊びを思いついたばかりに、今度のことは起きたんだ。信じてくれないかもしれないけれど、僕らの母さんは、馬車の前に身を投げ出して、馬車に当っては、その当った姿をお目にかけて銭をとる一流の芸人なんだ」  八月少年は「当り屋」のことを芸人と言った。 「でも、でも……世間じゃ芸人て言わない。罪人て呼んでる」 「六月、母さんは罪人じゃない。当りたいから当るんだもの、母さんがそう言ってただろう。いけないのは、当りたいとも思わずに当るやつだ。あいつらがおかしいんだ。1で踏みこみ2でストップ3で身をひくなんて、言いながら当る。当るには、こうしかないと決めている、柳に風の気持ちがわからないやつらだ」  圭一郎、身につまされるものの、今や改宗した身の上、八月少年の熱弁は続く。 「きっとあいつらが、母さんのことを密告したんだ。僕らの母さんばかりが、『当りたいから当る』その場に合せて、華麗な決意で当ってしまう、その姿が、そんな奇麗ごとは許せないって。それで、今度の当り屋騒動の張本人を、母さんにしたんだ。母さんが、子供の心の中へ入りこんで、ふらっと馬車に当らせているって、そう密告したんだ。でも、僕らは真実を知っている。僕らが張本人だ。ニュールンベルグでハヤッている、この子供達の当り屋遊びは、僕達が張本人だ。僕達が母さんを真似《まね》て、やってみたことだ。それが、こんな風になってしまった」 「アハハ、八月、しょげるな。母さんは帰ってくる」 「ああ。……六月、お前、今日も裁判所に焚木《たきぎ》を持っていったか?」 「持っていったさ」  八月少年、誇らしげに、 「僕達、替る替る、母さんが寒いだろうから、焚木を差し入れてあげてるんだ」  妄想の下半身は、どこまでも、けなげである。  その時、  欅《けやき》の扉《とびら》が、バッと開いた。  圭一郎は驚いた。  その男の姿は、シルクハットに長い外套《がいとう》を着込み、婦人物のハンドバッグを手にしていた。  カスパー・ハウザーを暗殺した、あの男の姿だった。 [#改ページ]     28  いよいよ、圭一郎は、自分の妄想《もうそう》が、粉々になっていくのがわかった。  おそらくこの妄想の外で、現代の女当り屋、粕羽聖子は、現実の裁判所に身をおき、裁かれているのに違いない。  現実は、平静を装いながらも、粕羽聖子の心の中では、これほどに、千々《ちぢ》乱れているのだろう。  たった三人の妄想の子供達ばかりが、粕羽聖子の無実を信じている。  ——妄想の子供の館《やかた》へ入ってきた闖入者《ちんにゆうしや》に圭一郎は目を見はった。  カスパー・ハウザーを暗殺した男の、その見てくれと、なんら変るところはない。  闖入者に、圭一郎ばかりか、八月少年達も面喰《めんく》らっていた。 「誰《だれ》だよ、お前?」 「お前達が知りたがっている母さんのことを、知らせにきた。私は、お前達の母さんについて誰よりもよく知っている男だ」 「母さんのことを!?」 「母さんが、元気かどうか知っているのか!?」  母さんと聞いて少年達、飲みねえ、食いねえと大騒ぎ、心は無防備で、シルクハットの男を迎え入れた。  男の両手は、外套《がいとう》の中に入ったままであった。  圭一郎は、危険を感知した。  この妄想の中で、圭一郎ひとりが、カスパー・ハウザーの暗殺を体験していた。  この男は、カスパー・ハウザーを殺しにやってきたのだ。  圭一郎は、そう直感した。  しかし、この妄想の館の、一体、どこに、カスパー・ハウザーが潜んでいるというのだろうか。  オーガスト・カスパー、ジャニュアリー・カスパー、ジューン・カスパー、彼ら三人のいずれかが幻の少年カスパー・ハウザーなのか?  男が外套の下から、ふっと両手を出した。  外套の下から、隠し持った短刀が現われる!  圭一郎は咄嗟《とつさ》に、そう思った。だが圭一郎のあてははずれた。  その手には、何も持っていなかった。  取越し苦労か、圭一郎はひと息ついた。  男が言った。 「遠い所から来た。手がかじかんでしまった。ストーブに火を入れちゃくれまいか、お前達の手で、山ほど焚木《たきぎ》を」 「いいさ」  母親の現実を知りたい一心、妄想の子供達は、どんなことでも快く引き受けた。 「正月、あまり焚木をくべるな、明日、母さんの所へ持って行くぶんがなくなる」  その八月少年のコトバを、さえぎるように、シルクハットの男、 「いや、もう焚木は、持って行かなくともよい。それは、母さんからの伝言だ」 「どうしてだい?」 「こういうわけだよ」  男が、シルクハットをとると、その下から長い清らかな栗色《くりいろ》の髪が現われた。  そして黒くて長い外套の下から、母親の体が現われた。  聖《セイクリツド》カスパーが現われた。紛れもない、それは妄想の中での、粕羽聖子の化身であった。 「母さん!」 「帰ってきたんだね、母さん」  母親の体に飛びついて喜ぶ三人の子供の姿を見ながら、圭一郎、しばし、あっけにとられ、やがて自分までが、よかったよかった、と心は踊る。  と、待てよ——カスパー・ハウザーも、アンスバッハの公園で、こうして、現実の母親と出会い、犬のようにじゃれつき喜びながら、やがて鮮血にまみれ、雪の上に身をよこたえ、殺されていったのではなかったか?  一人の母親と三人の子供が、戯《たわむ》れ合い喜ぶ家族の姿、聖家族という宗教画にもならんばかりの、美しい姿を見ながら、赤木圭一郎は、カスパー・ハウザーという名前に思い当った。  家族だ。  ハウザーとは、Hauser、家族のことなのだ。  カスパー・ハウザーとは、カスパー家という意味なのだ。  とすれば、カスパー・ハウザーの暗殺とは、カスパーと名のつく一族をことごとく殺すことではないか?  カスパーと名のつく一族——カスパーとは、道化者、当るために当る、飛ぶために飛ぶ、踊るために踊る、笑うために笑う、夢見るために夢見る——そんな一族がいるだろうか? いやいてはならない。だから暗殺に来たのだ、妄想の中へ。  今、この少年達の母親は、わが子を皆殺しにやってきたのではないか。  生きながらえてはならない一族の宿命があって、万感の思いを胸に、「わが子を殺すのだ」と決意して、やってきたのではあるまいか。  殺すために殺そうと。  聖《セイクリツド》カスパーは、今、子供を殺す母親として、三人の子供、複数のカスパー達、カスパー・ハウザーに会いに来たのでは、あるまいか。  妄想の中へ、やって来たのだ——  そうだ、裁判所の被告席にでも座りながら粕羽聖子は、今、はじめて、わが子粕羽法蔵という子供と面と向っているのではないか、妄想の中で。 「母さん、どうやって帰ってきたんだ?」 「迎えに行ったのにさ」 「助かったんだね、無実だって、わかったんだね」  エミを浮べたまま、母親は言った。 「逃げてきたのよ母さん」 「どうやって?」 「アルプスの峰から凧《たこ》にのって」 [#改ページ]     29  やおら粕羽聖子は、被告席から立ち上り、裁判長席によじのぼり「私、これから、しばし、妄想《もうそう》の子供達の所へ行って参ります。いざさらば」とやり始めた。  これには、裁判官ばかりか、検事側、国選弁護人も、しばし呆然《ぼうぜん》、やがて警護にあたるものに取り押えられた。 「粕羽聖子に、きっとまたなにか、憑《つ》きものがついたのだ」と面白《おもしろ》がる傍聴席、記者団を横目に別室へ連れて行かれた粕羽聖子、落ち着きを取り戻《もど》すと、 「どうしたのだ?」  という問いに、 「逃げようと思いました」 「裁判所からか?」 「はい」 「どうやってだ?」 「アルプスの峰から凧《たこ》にのって」  その場にいあわせた者は、チンプンカンプン、なんともとらえどころのない答えに、ふっと気をぬいた、その隙《すき》を狙《ねら》ってこの時とばかり、粕羽聖子は、周りに群がる人間を押し飛ばして、部屋の外へ出た。  裁判所の幅広い廊下に逃げ去ろうとする粕羽聖子の靴音《くつおと》ばかりが、コーン、コーンと鳴り響いた。  面白がって群がっていた烏合《うごう》の衆は、一向に粕羽聖子を捉《とら》えようとはせず、ただ職務だと慌《あわ》てて追うのは、裁判所員と警護員ばかり、とうとう聖子を見失う。  これは一大事、裁判所から逃げ出したとばかり、町は一斉《いつせい》に動き始めた。粕羽聖子の追跡が始まった。  なにしろ、何を言い出し何をやらかすかわからぬ女、まさに魔女が町へ飛び出したのだ。  こうして、現代の魔女狩りは始まった。  しかし粕羽聖子、いともあっさり逃げた。  捕まらないのである、それもそのはず粕羽聖子は、まだ裁判所の中にいた。  おそらく誰《だれ》も気付かない裁判所の一番高い窓の、しかも窓を開けたところの、ほんの四十センチばかり突きでたコンクリートの出窓の上、空へ足を投げ出さんばかりに座っていた。  そこで悠々《ゆうゆう》と、あわただしくサイレンのなる町の動きを一望していたのである。  四日でも五日でも、ここにい続けて、ほどよい頃《ころ》に町へ降りてやろう。身をきるほどに師走《しわす》の風が冷たかった。  事件から、半年が過ぎたんだなあ。  そう思う聖子の目の前に、一匹の翅《はね》の美しい蛾《が》が、舞い降りてきた。  ひらひらっと舞う蛾を手のひらにのせてみれば、初雪だった。 [#改ページ]     30 「それで母さん、どうやってここまで逃げおおせたんだ?」  八月少年は、妄想《もうそう》の中へ無事に戻《もど》ってきた母さんの冒険談を聞きたがった。 「母さん、まず、アルプスの山の中へ逃げこんだんだよ。すぐに家の方角を目指して逃げれば、追手は、これと気付いて捕まるに決まっている。だからまず、家とはまったく反対の方角に走り出したの。  それ、魔女が逃げ出したっていうので、大がかりな魔女狩りが麓《ふもと》の町で始まった。  けれども見つかるはずがない。  私は、町へ逃げたんじゃない。山へ逃げこんだんだもの。  しばらく、山に潜んで、ほとぼりがさめた頃《ころ》に、町中へ逃げこもうってね」 「アハハ、賢いな母さん」  正月少年、嬉《うれ》しそうに笑う。 「ところが一人、勘のいい男がいてね。私の後を追ったやつがいるんだよ。追われれば、追われる身の上の方が弱いに決まっている。そのうえ、雪の中、足跡が奇麗に残ってしまう。人のいない方へ、いない方へ逃げれば逃げるほど、私の足跡ばかりが、獣みちのように残っていく。考えてみれば、そうさね。私が獣で、私の後を執拗《しつよう》に楽しみながら追っているのが狩人だよ。一歩一歩確かめるように、必ずこの足跡の先に、俺《おれ》の目指す獲物《えもの》がいるんだ、とばかり、サクッサクッと雪を踏む音が、今でも聞えてくるようだ」 「でも、でも……その男、どうしたんだい? 後を追ってきちゃいないかい?」  心配そうに尋ねる六月少年に、たえまなくエミを浮べる母親、 「所詮《しよせん》は、女の足と男の足の違いだろうね。じきに私は追いつかれた。母さん、随分と走り続けて、息が苦しくなって、ふと休んだんだよ、忍冬《すいかずら》の木のそばでね。冬だっていうのに、葉っぱもおとさず耐え忍ぶ、この木は、ガンバッテいるのになあ、私ときたらダメダねえ……と母さんらしくもなく、そこで気持ちが、しおれてしまった。  そこにサクッ、サクッと力強い足音が近づいてきた。もう、この足音からは、どうしたって逃れられないだろう。  男が立っていた。  シルクハットに長い外套《がいとう》を着こんだ男だよ。  私は、そいつに、つかみかかって、雪の上を転げるようにして格闘したよ。こんな時は、女の力だってバカにならない。なにより私は魔女だと言われるぐらいじゃないか。  けれども私は魔女じゃなかったんだ。  魔法も呪文《じゆもん》もキキやしない。  組み伏せられてしまったんだ。もう駄目《だめ》だ、これでおしまいだ、もう降参しましたって顔を見せて、やにわに、エイッと相手の男の小指にかみついてやった。  ギリギリギリッと。  するとどうだい。  その男の小指から、なにか糸のようなものが、するする、ほどけだすじゃないか。  そして、私の体にその糸が絡《から》みつくんだ。  よく見れば、その男の指紋だよ。  小指の先に、うずを巻いている指紋が、ほぐれていってる。  私も吃驚《びつくり》したけれど、男はなおさら仰天して、力なく、へなへなと、そこに、うずくまる。  これは、しめたと、私は、その糸の絡んだまま、再び、逃げようとしたんだよ。  ところが、二歩、三歩走り出すと、今度は、あたしの体が、アルプスの風にのって、ふわっと舞い上ったんだ。その拍子に忍冬の枝が、二本、三本折れて、私に絡まり、一緒に飛び始めた。  忍冬の茂る葉っぱが、風をうけて、私の体は、グイグイッと凧《たこ》のように、空高く舞い上った。  私が舞い上るたびに、男の指紋は、するするとほどけていく。  男は、私を引き戻そうとして、指紋をひっぱるけれど、アルプスの強い風を受けた忍冬の凧の力は強かった。  私は、あっという間に、アルプスの頂上まで、上がっていった。  真白きアルプスの峰々は、眼下にチロルの山脈、東にほのかシュネーベルグの山並、西にモンブラン、モンテローザと、広大無辺な、アルプスの頂に私はいた。  おりから私の体は、真向から強い風を受けた。息がつまるほどだった。  けれども、あの暗く湿っけた陰惨な拷問室《ごうもんしつ》での苦痛に比べれば、その苦しみはかえって喜びに近いほどだった。  それはそうだよ、これで、もしかすれば、子供達のところへ帰れるかもしれないんだもの。  私は『海を渡る凧』の話を思い出していたんだよ。  海で凧をあげている時に、うっかり、手から糸を離すと、海の風にあおられて、凧が沖の方へ行く、いつまでたっても、落ちてこない、よく見ると、離してしまった凧糸の先が、海面に垂れていて、ちょうどいい具合に均衡《バランス》がとれて、海面が、凧をあげているように、ぴいーんと凧糸は天に向って張っている。潮の流れにのって凧が海の上を沖へ、沖へと走っていく。  あの話を思い出したんだ。  もしも私が、このまま、男の指紋を凧糸にして、高く上れば上るだけ、男の指紋は、するするほどけていくだろう。風が吹くたびにするすると、私の身を踊らせ舞い上げるたびに、するすると、ほどける。  そして、男の指紋がほどけきった時、凧糸の先は自由になるだろう。それは、どれだけの歳月がかかるか知れないが、私のこの凧糸の先を、アルプスのどこかしらの川面《かわも》に垂らせば、下流へ下流へ、川の流れに沿って、アルプスを下っていくだろう。やがて、アルプスの中腹に、それから麓へ、じきに、このニュールンベルグの町中へ入って行くだろう。そして私は帰れるだろう。子供達のもとへ。妄想の子供達のところへ。複数のカスパー、カスパー・ハウザーのもとに。私はそう思ったんだ」 [#改ページ]     31  粕羽聖子《かすばせいこ》は、そう供述した。  裁判所からの脱走事件は、この現実界では、すでに解決していた。  事件とともに降り始めた雪は、二、三日降り続いた。  世間は、初雪と女囚の脱走事件にワクワクした。  白い町中を、一頭のメスの獣が走り続けている、という想像は、雨戸を閉めて、部屋に閉じこもった人間達にとって、格好の見世物であった。  三日ほどで粕羽聖子が見つかった時、世間は突然のショーの幕切れに落胆した。  粕羽聖子を捜し当てたのは、優秀なる警察権力ではなかった。降りつもった初雪が、聖子を見つけだしたのである。  この二、三日、聖子は、飲まず食わずで、あのまま、裁判所の一番高い窓の外にい続けた。  聖子は黒い服を着ていた。  それが白一色に覆《おお》われた世界で、ぽつんと目についた。  裁判所の近くにいるものは、彼女を見つけることができなかった。  遠くからこの雪景色を眺《なが》めていた老眼の爺《じい》さんによって発見されたのである。  裁判所の高い窓に止ったまま、動かないでいる黒い鳥はなんだ、かわいそうだから降ろしてやれ、と日本愛鳥協会へ問い合せが行ったのである。  こうして、捕えられた粕羽聖子は、相変らず取調べの席で「指紋がほどけてしまった」の「凧が海を渡った」のと理解しがたい供述を繰り返した。  わずかに、供述の最後に、「私は帰れるだろう、子供達のもとへ、私の妄想の子供達の所へ、粕羽法蔵のもとに」というコトバが出てきて、殺した子供に対する若干の悔悛《かいしゆん》の情が、うかがえるものの、それ以外には斟酌《しんしやく》すべき余地がないということになった。  しかし、粕羽聖子の妄想を知る者にとって、それは支離滅裂でもなんでもなく、理路整然とした供述であった。  とりわけ聖子の妄想に感応して、その中へ取り入れられたままの圭一郎などにはよくわかる話であった。  まだ、アルプスの麓《ふもと》の町にいるままの、圭一郎にとっては……。 [#改ページ]     32  現実の粕羽聖子は、現実の魔女狩りの網にかかり、裁判へ引き戻《もど》され、とうとう、子供のもとへ帰ることはできなかった。  が、妄想《もうそう》の中の聖《セイクリツド》カスパーは、子供の所へ帰ってきた。  はじめて、現実と妄想とが食い違いを見せた。  これは奇妙な話である。  現実と妄想とは、いつでも対応しあうものなのだから。  違っているとすれば、現実に錯誤があるか、妄想の中に嘘《うそ》があるのか、そのどちらかである。  圭一郎は、妄想の中で、すでに、そのことに気付いていた。  聖《セイクリツド》カスパーの話には嘘がある。  聖カスパーが凧《たこ》の話を始めたあたりから、どこか聖カスパーの話に胡散臭《うさんくさ》さを感じていた。じいっと、その女の指先を見つめていた。その女には指紋がなかったのである。  ニュールンベルグのストーブを囲んでの、母親の冒険談が終るや、圭一郎は、話をきり出した。 「指先に指紋がないのは、どうしたわけだ?」  圭一郎の言うがごとく、「指紋がないぞ」とばかり少年達、「本当だ母さん、面白《おもしろ》い」「どうしてなんだ?」と母親の指先に集まってくる。 「これは、私が少女の頃《ころ》に、ちょいと、ヘマをやらかしたのよ、ほら、こうして、ストーブの煙突に手を当てながら、よくやる我慢合戦をやったの、誰《だれ》が一番辛抱強いか」 「一番辛抱強かったのかい? 母さん」 「そうだよ、それで魔女の拷問《ごうもん》にだって耐えられたんだよ、いいかい、やってごらん? こうして煙突に手を当てるんだ」 「アハハ、なんだ、たいしたことないぞ」  相も変らず、正月少年、屈託もない。 「最初は、私もそう思ったの。なんだ、こんなに生暖かくて、かえって気持ちの良いくらいだって、そう、お前達三人が、そうやって今、その煙突に手を当てているみたいに、私も三人で争ったの、誰が一番辛抱できるか。やがて、三分、五分と経《た》つにつれて、焚木《たきぎ》も、次第に、パチパチと強く燃え始めたわ。さあ、もういいからお前達は、その手を煙突から離すんだよ、やめておきなさい、私のように、指紋がとけてなくなるから」 「いいさ、このままで、母さんの話を聞くさ。なあ、六月、正月。きっと母さんも辛《つら》かったんだろうから」  八月少年強情に、煙突から、その手を離さない。 「アハハ、そうしよう、僕《ぼく》らも、誰が母さんの辛抱と同じくらい辛抱できるか、やってみよう」  正月少年も、けなげである。 「でも、でも……僕、少し熱くなってきた」 「アハハ、なんだ六月、これっぱかし、ん? ムムム、少し熱いな、アハハ」  豪快に笑いとばす正月少年、そのソバから、圭一郎も、その手を煙突にあてがい、 「よし、俺《おれ》も、このササヤカな拷問を受けながら聞こうじゃないか。本当は、どうやって、あんたが逃げてきたのか。ここへ辿《たど》りついたのか、本当に逃げおおせたのか」  少年達は、目をしばたたかせた。  圭一郎が何を言わんとしているのか、わからなかった。 「実は、俺は、指先に指紋のない男のことを知っているんだ」 「え?」 「あんた、俺のことを覚えてないか?」  絡《から》みつく圭一郎に答えて、聖カスパー、 「さあて……私も、ずいぶんと、いろいろな人と巡り会ってきたから、会ったといえば会った気もする。会わなかったといえば、そんな気もする」  その禅問答ぶりが、圭一郎に、凧男を彷彿《ほうふつ》とさせた。圭一郎、確信して、 「あんたは、この子供達に会いに来たんじゃない。この子供達を殺しに来たんだ!」  ギクッとする少年達、思わずその手を、煙突から離そうとするのを、おさえて、圭一郎、 「手を離すな煙突から。辛抱しろ、辛抱して聞こう。俺も、お前達と一緒に話を聞くから。さあ、話してくれ、アルプスの風に舞い上った凧が、本当は、どうなったのか」 「だから、今、言った通りだわ。山の中に流れている川面《かわも》に凧糸の先を垂らしたのよ、川の流れにのって、下ってきたと、お話したでしょう」 「この寒さだ。川の面は凍っているさ」 「じゃあ、その凍った川面を凧糸の先がスケートしたのよ」 「信じることのできる妄想と信じられない妄想とがある」  圭一郎の力強い語気に、いまや、たじろぐ聖カスパー、助けるように八月少年、 「何を言いたいんだい、この唐変木、母さんにいちゃもんつけると承知しないぞ」  つかみかかろうと、煙突から手を離しそうになるのを、圭一郎、 「辛抱してきけお前達、手の皮が煙突にくっついてしまっても、こいつは聞かなければいけないんだ」  しばし圭一郎と少年達、圭一郎と母親、母親と少年達、三すくみの息のつまるような睨《にら》み合い。  母親、ふうっと息をぬき、 「お話するわ、凧の続きを」 [#改ページ]     33 「アルプスは、チロルの山の真上に上り、凧《たこ》になった私は、これで漸《ようや》く、子供達の所へ帰れると思ったの。ところが、その凧糸の先を離さず持っていた男は——考えてみれば自分の指紋だもの、あっさりと離すはずがないわね——男は、再び立ち上ると、山の上へ山の上へと登りながら、なおも執念深く凧を、ぐいぐい、ひっぱる。上へ上へアルプスを登ってきた。もちろん凧はそれよりもさらに上へ上へと上昇気流にのっていったわ。  男が雲海に包まれたブレンナーの峠にさしかかった時、私をのせた忍冬《すいかずら》の凧は、急激に気流に巻きこまれてくるくると回り出した。風は必ずしも、上昇するものばかりじゃない、そうでない風もあることを、母さんは忘れていた。その気流は下降気流だったのよ。忍冬の凧は、その風にあおられたの。地面まで落っこちこそしないけれど、いつのまにか、凧糸をひっぱる男よりも、アルプスの空を下へ下へと降りていったの。凧はやがて雲海の中へ潜っていった。男がひっぱる凧は、ちょうど、雲海での海釣《うみづ》りみたいな形になった。凧を上げているんではなく、凧を下げている、そして凧を釣り上げるみたいな形になった。男は、そうなればしめたもの、目の前に広がる、チロルの雲海のその下から凧をグイグイひっぱって釣りあげさえすればいいんだ。男は、ひっぱった。雲の海の中で荒々しく。チロルの山脈の雲より上に突きでたところは、ちょうど、海の島になり、あるいは岬《みさき》になった。そのチロルの雲海で、男は、下降気流に巻き込まれて、鯨《くじら》のようにあばれる凧を釣りあげようとした。太陽は、すっかりのぼり、雲海は、あけぼのの色に染まった。下降気流が少しずつ少しずつ弱まり、凧の力も弱まっていった。男は、グイグイと、自分の方へ凧を引き寄せた。そしてついに、雲海に再び凧が姿を現わした。現わした姿を見て男は驚いた。凧の先にいるはずの魔女は消えて、いつしか、オオミズアオという蛾《が》に姿を変えていた。それでも、獲物《えもの》はもうまぢかとばかり男は、そのオオミズアオをひきよせて……もう目と鼻の先までひきよせて、グイグイと……さらにグイグイと、渾身《こんしん》の力をこめ、やがて、この手もとにまでひきよせると……」 「ひきよせると、どうしたんだい? その男」  八月少年、煙突に当てた手は、熱さのあまり、ふくれあがらんばかりになっている。  それでも辛抱して、この話を聞いている。  母さんは、どうなったのか、オオミズアオに姿を変えた母さんはどうなったのか、その先を言わない聖カスパーに、真実を聞いてしまうのもコワイ少年達、やがて長男|八月《オーガスト》、震える唇《くちびる》をかみしめかみしめ、 「どんな話でも、辛抱してきくさ、その先にどんな話があっても、ほら、僕らは、まだ煙突に手をあててこらえている。だから母さん、本当のことを話しておくれ」 「真実は、この中に入っているんだよ」  母親、聖カスパーは、そういうと婦人物のハンドバッグを手渡そうとした。  まさに、カスパー・ハウザー暗殺の手口と同じである。  それを受けとろうと、煙突から手を離しかける、おめでたき正月少年に、圭一郎間一髪、 「やめろ、正月、そいつを受けとるな。煙突から手を離すな。辛抱するんだ。こいつは、お前の母さんじゃない。そのハンドバッグを拾った奴《やつ》を殺すつもりだ」  受けとるもののない婦人用のハンドバッグは、床に落ちた。  パクンと開いて、中から、一枚のメモと、青い財布がころがりでた。  聖カスパーは、青い財布を拾い上げると、言った。 「その通りだ。私は、お前達の母さんではない。グイッグイッと凧をひきよせた男の方だ。そして、この手もとに、凧糸を、俺《おれ》の指紋を、すっかりひきよせると、俺は思い出したんだ。俺が、一体|誰《だれ》だったのか。それから……こうしたのさ」  青い財布を開けると、ずたずたに握りつぶされたオオミズアオがでてきた。  男は、オオミズアオの死骸《しがい》を口に放りこみ、くちゃくちゃと食い始めた。  オオミズアオ——それこそが「飛びたいから飛ぶ」異端の蝶《ちよう》ではなかったか。  なにより、この妄想の子供達の母親の化身とも言える蝶ではなかったのか。  そのオオミズアオを今、男は、口の中で、草を反芻《はんすう》する牛のように、くちゃくちゃと食っているのだ。  少年達は、コトバもでなかった。  上昇していくアルプスの風にのって戻《もど》ってくるはずの母親が、一気に下降気流に、ぐるぐると巻きこまれ、雲海から現われた時、オオミズアオを、くちゃくちゃと食う男に姿を変えたのだ。  そうとしか、映らなかった。  妄想の少年達の目の前にいるのは、母親などではなかった。  見るも無惨《むざん》に姿の変ってしまった母親であった。  少年にとって、これほどの拷問《ごうもん》はなかった。  熱く灼《や》ける手のひらから指先の感じまでなくなった少年の煮えたぎる頭の中で、今、母親は、オオミズアオを、くちゃくちゃ食う男に変ってしまった。  今さら、何を辛抱する必要があるのか。  少年達は、そろって煙突から手を離した。  ベリベリッと、少年達の手のひらも、指先の指紋もはがれていった。  煙突には、三人の少年の、ただれた手のひらの皮と指紋が、ぶらあんと垂れてくっついたままであった。  圭一郎も、その妄想のストーブの煙突から手を離そうとしたが、くっついてしまって離れない。無理にひきはがそうとすれば、皮ばかりか肉までもが、剥《は》がれていくような気がした。  業火《ごうか》の中にいるアツサともイタサとも知れぬ苦痛を感じながら、かげろうのように揺れている室内の景色を圭一郎は見た。  三人の少年の前に立っているのは、やはり、シルクハットに長い外套《がいとう》を着たあの男であった。  この部屋に突然|闖入《ちんにゆう》してきた時と同じ姿のままであった。あの時間に戻っていた。  妄想のストーブから手を離した少年達は、なにごともなかったかのように、けろっとしている。  どうしたのだ?  これも、やはり妄想なのだろうか?  何事も起らなかったのだろうか。俺ひとりが、煙突に手をあてるうちに、その手のひらのアツサのあまりに、無名の妄想の中で、さらに、なにか悪い夢を見たのだろうか。  確かに時間は、すっかり戻っていた。  八月少年が、シルクハットの男に言った。 「誰だいお前?」 「お前達が知りたがっている母さんのことを知らせに来た。私は、お前達の母さんについて、誰よりも、よく知っている男だ」 「母さんのことを?」 「この中に、お前達の母さんの真実が入っている」  男は、婦人物のハンドバッグを少年達に手渡そうとした。  その手から、ハンドバッグが落ちた。  その中から、一通の手紙と青い財布がころがりでた。  少年達は、かがんで、青い財布を手に……いや、一通の手紙の方に群がった。  それは母さんから届いた手紙だった。  封を開け、文字に目を走らせ夢中になった少年達は男に背中を見せた。  圭一郎は、暗殺を直感した。  咄嗟《とつさ》に声を出そうとした。  しかし、声はコトバにならなかった。 「ア——ウア——イ」  時は遅かった。  男は、妄想の少年達に、次から次へと襲いかかった。  男は、やはり妄想の少年を暗殺に来たのだ。  三人の複数のカスパー達を、カスパー・ハウザーを、妄想の一族を。  まず、八月の胸を刺して、それから正月の腹を、そして最後に六月の背中を、次々と刺した。  男は言った。 「俺は三千年前の指紋を取り戻して、ようやく自分が誰だったか、思い出したのさ。俺は、妄想の一族を皆殺しにするために、妄想の中へ送られた暗殺者だ」  そういうと、妄想のストーブに躍りかかった。  そのとたん、妄想のストーブは、破裂するように赤く燃え上った。  中から、厖大《ぼうだい》な量の焚木《たきぎ》が、後から後から溢《あふ》れでてきた。  荒波が岩に打ち寄せるように、荒らくれしく、焚木の山が溢れ出した。  男は、断末魔の叫び声を上げ、火にくるまれた。  圭一郎は、すでにアツサなど感じていなかった。  妄想のストーブから、やがて熔岩《ようがん》のようにドロドロと溶けて流れ出した、ひとつの風景に目を奪われていた。  汪溢《おういつ》した焚木の山が、魔女を焼いている景色だ。  人間が創《つく》った魔女という妄想が、夥《おびただ》しい焚木の山の上で焼かれている。  そしてその魔女の中に聖カスパーがいた。聖カスパーは、子供達の集めてきた焚木の山で燃えていた。  妄想の少年達の母親は、とうとう彼らのもとへ帰ることなく、火刑に処せられていたのである。  その炎のまわりで、狂い飛ぶように、無数の真白き蝶が、群らがり炎舞していた。  この焚木の山で燃えていった異端の烙印《らくいん》を捺《お》された人間の数のぶんだけ、蝶は群らがっていた。その異端の魂に食らいつくために。  圭一郎の耳に、かすかにカラ——ン、カラ——ンという音が|見えてきた《ヽヽヽヽヽ》。ゴーゴーという炎の色が|聞えてきた《ヽヽヽヽヽ》。  炎の勢いは、必ずや、やがてこのニュールンベルグの町を覆《おお》いつくすだろう。雪におおわれたこの町を、魔女狩りの炎が、焦《こ》がし尽すだろう。その炎に洗われて、ニュールンベルグの雪は降りやみ、妄想の白い町が溶けていった時、この町の下から、現実の町が見えてくるだろう。  ニュールンベルグの冬が去り、やがて萌黄色《もえぎいろ》した芽の吹く樹々《きぎ》に囲まれ、現実の町が見えてくるだろう。  たった今、妄想の一族、複数のカスパー達は、ことごとく焼き尽されたのだ。  圭一郎は、炎の中にくるまれながら、ようやくこの無名の妄想の中から出ていくことができるのがわかった。  ありありと妄想のストーブの出口が見えた。  丸く切りとられた小さな穴が見えた。  しかし、圭一郎は出ていかなかった。  滅び去った無名の妄想の一族の、せめて、にせものの末裔《まつえい》として、圭一郎は、幻の当り屋たらんと決意した。  いつか街角に、ふらっと現われる幻の当り屋になろうと心に決めた。  赤木圭一郎は、二度と、こちらへ、私達のよく知る世界、現実という一族に帰依《きえ》しなかったのである。 [#改ページ] t     34  こうして、すべての登場人物は死にたえ、赤木圭一郎も、妄想《もうそう》の中から、出てこようとはしない。  ここに取り残されたのは、私と読者ばかりである。  この物語こそ、私の妄想にすぎないと思っている読者もあろうから、せめて妄想の一族への弔《とむら》いの思いをこめて、昔話をするとしよう。  遡《さかのぼ》ること三千年も昔、妄想の一族が滅び去る日のできごとは、詳《つま》びらかに旧約聖書におさめられていたのである。 [#ここから2字下げ] 旧約聖書 歴代志略下 第22章・10—12[#「旧約聖書 歴代志略下 第22章・10—12」はゴシック体]  茲《こゝ》にアハジアの母|アタリヤ《ヽヽヽヽ》その子の死《しに》たるを見て起《たち》てユダの家の王子をことごとく滅ぼしたりしが王の女《むすめ》エホシバ、アハジアの子ヨアシを王の子等の殺さるゝ者の中《うち》より竊《ぬす》み取り彼とその乳媼《めのと》を夜衣《よぎ》の室《ま》におきて彼をアタリヤに匿《かく》したればアタリヤかれを殺さゞりきエホシバはヨラム王の女《むすめ》アハジアの妹にして祭司エホヤダの妻なりかくてヨアシはエホバの家に匿れて彼らとともにをること六年アタリヤ国に王たりき 同 第23章・12—21[#「同 第23章・12—21」はゴシック体]  茲《こゝ》にアタリヤ民《たみ》と近衛兵《このゑへい》と王を讃《ほむ》る者との声《こゑ》を聞きエホバの室《いへ》に入《いり》て民の所に至り視《みる》に王は入口にてその柱の傍に立ち王の側に軍長と喇叭手立《らつぱふきたち》をり亦《また》国の民みな喜びて喇叭《らつぱ》を吹き謳歌者《うたうたふもの》楽を奏し先だちて讃美《さんび》を歌ひをりしかばアタリヤその衣を裂き叛逆《はんぎやく》なり叛逆なりと言《いへ》り時に祭司エホヤダ軍兵を統《すぶ》る百人の長等《かしらたち》を呼出《よびいだ》してこれに言ふ彼女をして列の間を通りて出《いだ》しめよ凡《すべ》て彼女に従ふ者をば剣《つるぎ》をもて殺すべしと祭司は彼女をエホバの室《いへ》に殺すべからずとて斯《かく》いへるなり是《こゝ》をもて之《これ》がために路《みち》をひらき王の家の馬《むま》の門の入口まで往《ゆか》しめて其処《そこ》にて之《これ》を殺せり  斯《かく》てエホヤダ己と一切《すべて》の民と王との間にわれらは皆エホバの民とならんことの契約を結べり是《こゝ》において民みなバアルの室《いへ》にゆきて之《これ》を毀《こぼ》ちその壇とその像を打砕きバアルの祭司マッタンを壇の前に殺せりエホヤダまたエホバの室《いへ》の職事《つとめ》を祭司レビ人《びと》の手に委《ゆだ》ぬ昔ダビデ、レビ人を班列《くみ》にわかちてエホバの室《いへ》におきモーセの律法《おきて》に記されたる所にしたがひて歓喜《よろこび》と謳歌《うた》とをもてエホバの燔祭《はんさい》を献《さゝ》げしめたりき今このダビデの例に倣《なら》ふ  彼またエホバの室《いへ》の門々に看守者《まもるもの》を立《たゝ》せ置き身の汚《けが》れたる者には何によりて汚れたるにもあれ凡《すべ》て入《いる》ことを得ざらしむ斯《かく》てエホヤダ百人の長等《かしらたち》と貴族と民の牧伯等《つかさたち》および国の一切《すべて》の民を率《ひき》ゐてエホバの家より王を導きくだり上《かみ》の門よりして王の家にいり王を国の位《くらゐ》に坐《ざ》せしめたり斯《かゝ》りしかば国の民みな喜こびて邑《まち》は平穏《おだやか》なりきアタリヤは剣《つるぎ》にて殺さる [#ここで字下げ終わり]  カラーン、カラーンと教会の鐘が妄想の一族を弔うようになるばかり、そこは静かなところであった。  所もここではない、  時もここではない、  今は昔の話である。  妄想の一族を最後まで守らんとしたのは、アタリヤという名の母であった。  妄想の一族、彼らはバアルという神を信じていた。  それは、エホバという神を信じる現実の一族にとって我慢のならぬことであった。  その頃《ころ》はまだ、世界は、現実と妄想とに、まっぷたつに割れていなかった。  現実の上半身が妄想であり、妄想の上半身が現実であったりした。  ケンタウロスは、ふたつに割れていなかったのである。  いわば、妄想も現実もあわせて現実であり、あるいはまたあわせて妄想であった。  しかし、神がふたつないように、現実もふたつあってはならない、と現実の一族は考えた。  こうして現実の一族と妄想の一族との闘いが始まったのである。  旧約聖書を読む限り、常に、現実では、現実の一族が優勢であった。  そんな三千年もの昔に、アタリヤという女が現われた。  アタリヤが犯した、たったひとつの、しかし償い難《がた》き誤ちは、妄想の一族に身をおきながら、現実の人間とまぐわい、現実の子供達を産み落としたということである。  かくてアタリヤは、自分の子供を、どうしても殺さねばならなかった。  現実の子供達を、ことごとく滅ぼさねばならなかった。  妄想の一族を守るために。  ここに、アタリヤという女の悲劇的な宿命があった。  現実の子供を殺せば、その子供は、自分の妄想の中へ入りこみ、妄想の子供となっていくのである。  しかしその妄想の子供を守ろうとすれば、やはり現実の子供を殺さねばならなかった。  こうして、子殺しの原罪ができあがったのである。  おそらく、この話さえも旧約聖書の歴代志略の中にでてくる「アタリヤ」と「エホバの神とバアルの神」とを拾って、私が現実に創《つく》り出した妄想である。  しかし、最後におめにかける一通の手紙は、妄想が創り出した現実なのである。  その手紙は、今、確かに私の手もとにある。  ドイツで猛威をふるった魔女狩りが、ニュールンベルグに吹きあれた頃、魔女裁判にかけられた母親から、三人の子供達に宛《あ》てられた現実の手紙である。 [#改ページ]     35  燃え盛る焚木《たきぎ》の山の頂に立ち、跳ねあがる馬の尾の炎《ほむら》の中で、私は、中世の魔女、聖カスパーとして焚《やか》れてまいります。  この私の体に絡《から》みつく炎《ほむら》の向うで、愉快そうに興じ入るニュールンベルグの人々よ、教えて下さい。私の息子達は、元気にしておりますか。  いとしき三人の息子達、半年も離れて、おぼろげになってしまった、わが妄想《もうそう》の息子達。  母さん、これから、お前達が拾い集めた焚木の上で焼かれていきます。  母さんは今日、昼間の裁判で、魔女であることを認めました。  母さんは今日、進んで自白をしたのです。  半年前、魔女の裁判にかけられた頃《ころ》は、母さんも気丈夫で、 「馬車に当って身もかろやかに死なないなどというのは魔女のやることに違いない」  そう言われても、 「当りたいから当るのです、これが私の宿命ですから」  と、やり返したものです。  それが、川の中へ体を放りこまれ、天秤《てんびん》の皿《さら》にのせられ、七つの分銅と比べられる日が続き、足におもしをつけ天井から吊《つる》され、あるいはロープと万力で四方に引き裂かれ、加えて全身を針で突き刺され、やがて赤く焼けただれた鉄の棘《とげ》の椅子《いす》の上に座らされる、こんな日々ばかりが半年も続くと、母さんにとって「当りたいから当る」などということは、どうでもよくなりました。  お前達は、そのことを責めるかもしれないけれど、母さんはついにある日、魔女裁判官に「当りたくないけれども当る時もある」と言いました。  母さんは魂を偽り、人間の魂を少しかじりました。  もしかすれば、母さん、その告白で、お前達のもとへ帰れるのではないかと淡い期待も抱きました。  しかし、今度は「馬車に当りたくないと思う人間が、どうして当る気になるものか、それこそ何かに取り憑《つ》かれている証拠だ」と、私が魔女であることを自白させようと、再び身も心もいたずらに責め苛《さい》なまれる日々が続きました。  空腹と不眠とを忘れてしまうほど、頭が朦朧《もうろう》となり、目の前には、首のないニワトリが逆さに吊されていたり、ねずみが走り回ったり黒く小さな虫が見えてきたりします。  そのころです、母さんが白い実を口にしたのは。  小さな薄暗い独房の隅《すみ》に咲いた白い花から白い実を摘んで口にしました。  朦朧としているから白い実を口にしたのです。白い実を口にしたから朦朧となったのではありません。  あらゆるものが、どうでもよくなりました。いっそのこと、自分は魔女だと言ってしまおうとさえ思いました。  しかし、私が魔女だということになれば、今度は魔女集会《サバト》に出た時に連れて行った子供の名前を言え、ということになります。お前達の名前をあげつらわねばならなくなります。それはいけない、お前達ばかりは守らねばならない。  霞《かす》んでなげやりになった心の中でさえ、母さんはお前達を庇《かば》おうとしている。なにか、お前達が母さんの体の外にいるのではなくて、中で生きている気がしてきました。  三ケ月も四ケ月も経《た》つうちに、お前達は実際にいたのかどうかさえわからなくなっていきました、それでも確かに私のぼんやりとした思いの中で生きていることだけは確かだ。毎朝、白い実を口にしながらお前達のことを思いました。時にお前達が、私の少年時代であるとさえ思いました。いや、そうだ、私には少年時代があったのだ、私が守ろうとしているのは、私の現実の子供ではない。私の少年時代だ。妄想の子供達だ。  夏に、この裁判が始まり、秋も深まり、かえでやもみじも色濃くなりはじめたころ、それは白い実のせいなのか、一体、どうしてなのかは知りませんが、そんな新たな感情が心に芽生えました。  母親というものは、こんなにまでなっても現実の子供を愛することができるものなのか。  どんな母親でも、子供を愛することをしか知らないのか。  そうではない母親だっているはずだ。どうしても、子供を愛さなければならない事情があるように、どうしても子供を殺さなければならない母親もいるはずだ。  ハッと思うと、母さんは白い実を唇《くちびる》に丹念にこすりつけている。  なんということを、私は考えているのだ。  お前達三人が、どうなってもいいとさえ思うなんて、一体、なんのために辛抱をしているんだ。  そう思うと、本当に自分は魔女の心を持った母親ではないかと思いました。この白い実にしても、ザルベではないか、魔女が妄想にふける時の薬、どくぜりやら、ヒヨスやら、狼《おおかみ》の頭や嬰児《えいじ》やらで作られたザルベなのではないか?  私は魔女なのではないか?  本当にそう思えてきました。この苦しみから免《まぬか》れるためにも「私は魔女だ」と言ってしまおうか。  いや言って|しまう《ヽヽヽ》のではなくて、それは偽りの告白ではない。「私は魔女」なのだから。魔女でない女が魔女だと自白するから、魔女狩りという不幸があると、誰《だれ》もが思っている。そうではない。少なくとも私に限ってはそうではない。自分が魔女だからこそ、魔女が自分を魔女だと言えないからこそ、これほどまでに苦しいのだ。  そんなことをさえ思ったのです。  しかし、私が魔女だと言えば、やはり息子達が——本当にいるかどうかさえ怪しくなってきた——私の息子達も殺されてしまうのに違いない。  再び堂々巡りにおちいるのです。  そして、この冬がやってきました。  独房の窓から眺《なが》めるニュールンベルグの冬は、方々の丘で枯木や藁《わら》の色が目につくばかりで、私の興味をそそるものなど何もありませんでした。あの丘に立つ十字架はなんだろう。その下に次から次と焚木のようなものが置かれている。人々は、朝から甲斐甲斐《かいがい》しく、少し浮き足立つようにして、両手に一杯に抱えた焚木を持って、にこやかに丘の上へと上って行く。  あ! 誰かが焼かれるのだ。  きっと昨日魔女だと言ってしまった女でもいるのだろう、あんなにも夥《おびただ》しい焚木を丘の上へ運んでいるのは、その魔女を焼くためだろう。  その中に私は、自分の息子を見つけました。  六月《ジユーン》、いつも、不安げに眉《まゆ》と眉との間に小さな皺《しわ》をよせながら、唇を少し、おりまげるようにしながら生きている六月、お前がいたのだ。  お前は、私が見たこともないほどのホホエミを浮かべて焚木を両腕に幸せそうに抱えている。「母さんの所へ持っていくんだ」唇がそう言っていた。  私のところへ? 焚木を? なんのために?  私は、慄然《りつぜん》とし、唇が青紫の色になり震えていくのをとめることができませんでした。  私の息子が、今、目の前にいる現実の息子が私を焼こうとしている。  半年も離れ、忘れかけていた妄想の息子が、今現実の息子となって現われて、私を焼こうとしている。  いや、きっと違う。  あの子は、私を焼こうとしているのではない。  私が寒いだろう、とでも思っているのだ。この厳しいニュールンベルグの冬だもの、その寒さで私の体がまいってしまったりすることがないように焚木を運んできただけのことだ。その焚木が、私を焼くのだということを知らずに。  本当にそうだろうか?  十字架の下におく焚木が何を意味するかさえ、あの子には、わからないのだろうか。  いくら裁判所から母親に焚木を持って来るように、と言われたとしても、せめて半分は疑わないだろうか? 半分とは言わないまでも脳裏をかすめないのか。自分が、せっせと運んでいる焚木が、何のために使われるのか、使われてきたのか、考えてもみないのか。  いや、もしかすれば、あのあどけない六月の顔の下で、六月は少しは知っているのかもしれない。少しどころか、すべてを知っているのかもしれない。あの子は私が苦しみ、私が火に焼かれていく姿を、どこか心の隅《すみ》で待ち続けているのかもしれない。  そうだ。今見た現実の息子は、私の子供ではないのかもしれない。  まさか!? 私はなんていうことを考えているのだ。  あれは、六月ではないか。  可愛《かわい》い私の息子ではないか。  一体、なにが真実だというのだ。  この半年に切り刻まれた体の傷に沁《し》みこんでくる風のイタミを覚えながら、私は、また白い実を口にしていました。  今のは、妄想だったのだろうか。  焚木を運んできた六月の姿はあの声は、白い実のせいだろうか。  この白い実が、私に見せてくれる景色のなにもかもが偽りであるというのなら、真の実はどこにあるのか。  頬《ほお》ばるべき真の実は。  私は、白い実とそして真の実との、そのどちらを信ずるべきだろうか。  白い実だ。  私はやはり魔女なのだ、魔女に違いない。  現実の子供をさえ巻き添えにして、私は焚《やか》れようとしている。  あの十字架に、私をはりつけにして。  すると、窓から眺めていた外の景色に、カラ——ン、カラ——ンという教会の鐘の音が、私の耳に|見えてきました《ヽヽヽヽヽヽヽ》。  そして、そこには、磔《はり》つけられた私がいて、私は全身から、深紅色の血を流し、焚木の山で焼かれていました。  ああ、また私は妄想を見ている。  これは、いけないことなのだろうか。  そうだ、私は、いつか司祭様から聞いたお話、アタリヤという女の、あの妄想の一族の末裔《まつえい》なのだ。  とすれば、そうなのだ、それでなのだ。  私がすべての子供を愛することができないのは。  私が現実の子供を愛していたと思っていたのは思い違いなのです。  十二月十四日、朝から雪が降りつもっています。  この雪が降りやむと、町の下から現実の町が見えてくるのでしょうね。  だから、中世の衣を被《かぶ》るのは、そろそろ、よしにしようじゃありませんか。確かに私は、法蔵という、実の子供の背中を押して、車にあてました。この手にかけて、子供を殺しました。  はい。これっぽっちも、悪いだなんて思っちゃいませんよ。  私が愛するのは法蔵じゃございません。  確かにいるんです。三人の子供が、法蔵の他《ほか》に。  頭がおかしい、なんて言っちゃいやですよ、実の子を愛するばかりが母親じゃありませんよ。  え? それじゃ、まるで悪魔だ、ええ私はいかにも魔女でございます。魔女の当り屋とでもなんとでも書いて下さいまし。情緒の著しい欠如とでもなんとでもおっしゃって下さいまし。私は決めてしまったのですから。  愛は差別だと。  魔女はすべての子供を愛するっていうわけには参りません。  心に、ぽっとね、生まれた子供の方を愛するんですよ、私達の一族は。  名前? みんな生まれた月の名前で呼ばれています。  少しでもその子が生まれた日のことと、その日の思いを忘れないために。  八月っていいます、長男は。  八月——それが、お前の生まれた月だよ。だから粕羽八月、真夏のように燃えたぎる真実を、いつも口にして生きなさい。そして世界を焼きつくしなさい。  八月、お前は人間の子供です。  なにより母さんが、お前を産んだ日のことを覚えているのだから。  六月——いつも、瞳《ひとみ》の濡《ぬ》れた六月、それがお前の生まれた月だ。だから六月、紫色に世界を濡らして、雨音で世界中を食べ尽してしまいなさい。  そして、ひとたび世界を、あじさいの花びらの静寂の中へ返してあげなさい。  粕羽六月、お前とて人間の子供です。  正月——新しい年を生むおめでたい子供、それがお前の生まれた月だ、だから、八月の炎に燃やし尽された世界が、六月の驟雨《しゆうう》で静寂の花びらのもとへ帰ってきたら、再び粕羽正月、お前は世界を甦《よみがえ》らせなさい。やがてお前が走る先に、新たな妄想の子供が待っています。  それは、粕羽三月、復活の季節です。  だから、それまで、お前達は、自分の家を焼いて逃げなさい、妄想の子供達。  小指にうずまく八月の糸をかみきって、正月の凧糸《たこいと》を天まで伸ばしたら、六月に凧糸の先を、大河の河面《かわも》に垂らして、アルプスを下っていきなさい。  母さんが下ることのできなかった、アルプスの山を、どこまでもどこまでも下っていきなさい。 [#改ページ] [#小見出し]   けれどもう半生[#「けれどもう半生」はゴシック体] [#地付き]———野田秀樹、野田秀樹を語る  一九五五年[#「一九五五年」はゴシック体](昭和三十年) 二月十七日、坂口安吾、桐生《きりゆう》の町で永眠する。 二月十八日、坂口安吾の魂は、日本列島を東海道沿いに、西方浄土を目指す。 二月二十五日、さらに坂口安吾の魂は、交通機関の発達していなかった当時としては、格安の料金と時間とを浪費して、やっとの思いで、日本列島から海外への唯一《ゆいいつ》の窓口、長崎へ到着。(この頃《ころ》、魂の世界では、日本はまだ鎖国体制を布《し》いており、全《すべ》ての魂が、一度は長崎を通ることを余儀なくされた。ペリーの魂が、浦賀の柳の下に化けて出るのは、まだ先の話である) 二月二十六日、そこで坂口安吾の魂は、お釈迦《しやか》様に、次は一体何に生れ変るのかを、聞いてみたところが、「イモリかタモリか、そんなものでしょう」と言われて、生きる意欲と西方浄土への意欲を失《な》くし、雪の降る長崎の町で、青年将校の魂を引き連れて、私の母親の胎内にたてこもる。とは、お釈迦様でも気がつくめえ。 十二月二十日、たてこもること十ケ月、ついに坂口安吾の禁欲的な魂は、野田秀樹の魂として生れ変る。 偉そうに、と言われても仕方ない。偉いんだもん。 厚顔無恥、と言われても仕方ない。厚顔無恥なんだもん。  一九五六年[#「一九五六年」はゴシック体] 零《ゼロ》歳。近所の看護婦さんに、異常なかわいがられ方をする。この当時、母性本能のくすぐり方を体得。やはり脇《わき》の下より足の裏です。  一九五七年[#「一九五七年」はゴシック体] 一歳。人間としての体裁を帯びてくる。四ツ足をやめて二本足となる。 九州男児としては、ことのほか、その色白の度が過ぎており、この白さは人間ではない、鳥だ、白人だ、いやジェット機だ、いや悪魔の子だと噂《うわさ》が立ち、えらく肩身の狭い思いをした。そのわりには、現在、肩幅は広い。  一九五八年[#「一九五八年」はゴシック体] 二歳。人格の寸法が、はっきりしてくる。タテヨコ二センチ五ミリ。拡大してみると—— 人見知りだが、社交性だけはあり、 気は利《き》くわりに、すぐぼけっとする、 神経質に見えても、ちゃらんぽらん、 根は不真面目《ふまじめ》だが、その実《じつ》ひたむき、 心優しくて、底意地《そこいじ》まで悪い、 臆病《おくびよう》でなおかつ、大胆不敵、 あきっぽいくせに、どこか粘り強い、 明るく爽《さわ》やかなうえ、芯《しん》まで暗い。 ——考えれば考えるほど分裂気質。 人間、性格なんてわかんねえもんだ。  一九六〇年[#「一九六〇年」はゴシック体] 上京。幼稚園へ入るのが嫌《いや》で嫌で、泣き叫んでは、机、電柱、母親、園長先生など、そばにあるものを、足《あし》当り次第、蹴《け》とばす。 強い大人の力に負けて入園。 今でも、幼稚園が好きで幼稚園へ行っている、という迷信を信じてはいない。 しかし、性格は急激には歪《ゆが》まず、この後、大きなカーブを描いて歪むこととなる。 とすれば、歪み始めた曲り角は、なかよしこよしの幼稚園へ行く途中の曲り角だった気がする。  一九六二年[#「一九六二年」はゴシック体] 小学一年生。幼稚園で教わったマリア様のことが忘れられず、困ったことがあると、いつも心で「マリア様……」と念じていた。不思議なことだが、「イエス様……」などとは一度も思わなかった。  一九六四年[#「一九六四年」はゴシック体] 小学三年生。晴れて通知表に「悪童」と書かれ、大笑いする。 嫌《きら》いで嫌いで仕方のない女の子を、一年がかりで徹底的にいじめぬいた。 それとは別に、好きな女の子のことは、おちんちんを見せながら追いかけ回した。すると、みるみるうちにみんなの前に立たされていた。「もう一度、みんなの前で同じことをやってみなさい」と女の先生は言うのだ。何故《なぜ》、高貴な僕《ぼく》が、そんなことを言われるのだろうと、泣けてしまった。今、思えば、あの女の先生も、ただ見たかっただけなのかもしれない。謎《なぞ》である、女という奴《やつ》は。先生といえども。 十月十日、東京オリンピック始まる。自衛隊のジェット機が空に描いた五輪の輪の、そのまさしく真下で、僕はそいつを見上げていた。  一九六五年[#「一九六五年」はゴシック体] 小学四年生。異常な男の教師によって、異常な全人スパルタ教育を受け、誠実な性格|破綻者《はたんしや》となる。晴れた日は野球、雨の日は自習、早朝四時から校庭で遊ぶ、などなど、授業というものが全くなかった。毛布一枚で教室に泊ることもしばしば、なんとも言えぬ秘め事であった。  一九六六年[#「一九六六年」はゴシック体] 正月に新潮文庫《ヽヽヽヽ》の『二十四の瞳《ひとみ》』を途中から読んで、全面的に感動、本の好きな子供となる。毎日曜日、日比谷かなんだかの児童図書館へ通っては、伝記を読んで、感想文を書くことに生き甲斐《がい》を感じつつも、やはり学校に泊る癖は直らず、やがて守衛さんとねんごろになり、夜遅くまで詩集『ぶどう』というのをガリ版印刷しては喜んでいた。 この頃一番好きだった遊びは、鈴木和道くんの家で雨戸を閉めてまっ暗にして、新聞紙を丸めた棒で、ギャーギャー言いながら殴り合う遊びだった。 「人が死ぬ」ということを思って、眠れないことがあった。 生来の童顔が、ませくれた子供に感じさせなかった。人間、天性です。  一九六七年[#「一九六七年」はゴシック体] 教室に泊るのだけでは満足がいかず、小学校の卒業記念にと、保健室、校長室と二泊した。学校に二泊したのは初めての経験であった。すべて時効である。  一九六八年[#「一九六八年」はゴシック体] 中学校入学。なにせ小学校の四年から六年まで、みごとなくらい、偏《かたよ》った教育を受けていた僕には、 「電気が流れる」 とか、 「日本には福島県という県がある」 と聞くだけで嬉《うれ》しくなるほど、全ての知識が新鮮で、たちまち勉強が好きになる。 そのうえ美少年としての体裁を帯びてくる。 おまけに若い女の音楽の先生に、えこひいきまでされて、 こうなると、おとなしくするしかなかった。 というわけで、中学時代は、おとなしぶったが、やがてそれも息ぎれする。  一九七〇年[#「一九七〇年」はゴシック体] その息ぎれがする十一月の昼休み、走り高跳びをしていたら、校庭のはるかかなたから、ませた友人が、はすにかまえて走ってきて、 「三島由紀夫が死んだってさ」 と言うから、僕は、はすに構えず、実直に受けとめた。 その実直さが好かれたのか、生涯《しようがい》で一番、女にモテた年である。「いいじゃないの、女なんか」という今思えば畏《おそ》れ多いことを口走っていた。この先、どんな運命が待っているとも知らず……。  一九七一年[#「一九七一年」はゴシック体] 頭の良い子が集まった男子校に入学。みんなどこかひねこびていて、僕だけが天真|爛漫《らんまん》であったのを覚えている。 初めての授業で、まわりを見渡すと、黒い制服姿しか見えないのだ。花がない。花は、花はどこへ行った。そんな歌まではやっていた。 つくづく「いいじゃないの、女なんか」と口走ったことを悔みながら、「いいじゃないの、女ならば」という、おそろしく簡潔でフケツな思想を持ち始める。 この頃、一〇〇メートル走が一二秒二。走り幅とび五メートル五一。ハードルは忘れたが一番得意だった。  一九七二年[#「一九七二年」はゴシック体] 高校二年生。処女戯曲『アイと死をみつめて』を書き、校内で上演。校内だけでの名声を勝ちえる。僕のことを天才だという奴がいて、こりゃ、まいったなあ、と思った。それほどいい加減に書いたのだった。 けれども、今は、 あれほどいい加減に書けないから、やはり、その頃は天才だったのかもしれない。 などと言うようになったら、人間おしまいだ、と思って生きてきました。  一九七三年[#「一九七三年」はゴシック体] 芝居の虜《とりこ》。そのうえサッカー部員が足らず、ちょくちょく対外試合にかりだされる。やたらまわりが気を使って「野田そっちだ!」「野田あっちだ!」と言うから敵チームは、僕がやたらにうまいのだと勘違いして、いつも徹底的にマークされた。オトリとしての役目を果していた。文化祭のあったある一日、芝居をやること一日四回、そのあいまにサッカーの試合に出たから、さあ大変、さすがにグラウンドまで、 「おい、もう客が入っているぞ」 と演出が迎えに来た時は、慌《あわ》ててサッカーの試合をおっぽり出して舞台に走った。やっぱり疲れた。  一九七四年[#「一九七四年」はゴシック体] 大学落ちる。当時は七不思議と言われながら心を慰めたが、僕は落ちた理由を知っている。 当日、試験ができなかったのである。 浪人生活中も芝居のことはちらほらと、頭に浮んでは消えた。まるで恋の病いのようだった。  一九七五年[#「一九七五年」はゴシック体] 今度はうかる。僕はうかった理由を知っている。当日、試験ができたからである。隠すのもイヤミだから、東京大学法学部入学、どうせ俺《おれ》はエリートだよ。役人になって、てめえら苦しめてやる! などと不埒《ふらち》な考えを起すことなく、苦手な腹式呼吸を克服する日々であった。 芝居の遠浅の海を泳いでいたつもりが、潮の流れが変っているのに気もつかず、沖へ沖へと流されて、深みにはまっていった。 きっと遊泳禁止の旗が立っていたのに違いない。 芝居はコワイ。 まわりを見ると、人生の岸辺が見えなくなっている。  一九七六年[#「一九七六年」はゴシック体] 二十歳。劇団「夢の遊眠社」結成。「劇団の女優に手を出すな」を合コトバに今日まで生きる。 男優ならいいのか、という深い不安と確かな予感に襲われる毎日である。 秋にVAN99ホールで『走れメルス』初演。  一九七七年[#「一九七七年」はゴシック体] 二十一歳。春、『二万七千光年の旅』初演。 秋、『愛の嵐《あらし》』初演。  一九七八年[#「一九七八年」はゴシック体] 二十二歳。春、『怪盗乱魔』初演。初めて自分の才能に自信を持った。つまりそれほど謙虚な男だったのである、それまでは。その後《あと》がいけなかった。ひとたび自信を持つと、過剰気味になるから、突如として猛烈な不安に襲われる夜の続くことがある。 「明日から、やっていけるだろうか……」 ただそれだけのことである。 冬、『走れメルス』大幅改訂して再演。  一九七九年[#「一九七九年」はゴシック体] 春、『怪盗乱魔』パルコ・ドラマフェスティバルで再演。 秋、『少年狩り』初演。  一九八〇年[#「一九八〇年」はゴシック体] 母親死ぬ。 春、『二万七千光年の旅』大幅改訂して再演。 夏、『二万七千光年の旅』追加公演。 秋、『赤穂浪士』初演。 冬、『赤穂浪士』追加公演。  一九八一年[#「一九八一年」はゴシック体] 二月二十六日付で、もろくも大学中退。 春、『少年狩り』やや改訂して再演。 夏、『走れメルス』大幅改訂して再演。 秋、『ゼンダ城の虜』初演。  一九八二年[#「一九八二年」はゴシック体] 正月返上。『怪盗乱魔』四年前のまま再演。 六月、書下ろし長編小説『空見た子とか』刊行。 七月、『ゼンダ城の虜』再演。公演終了後、『大脱走』を脱兎《だつと》の勢いで執筆。 八月、『野獣降臨《のけものきたりて》』を、脱兎の前をゆくにんじんの勢いで執筆。 十月、『野獣降臨』駒場小劇場にて上演。これをサイゴに生まれ育った劇場に別れを告げる。 さよならだけが人生さ。  一九八三年[#「一九八三年」はゴシック体] またも正月返上。『走れメルス』再演。 その本番中に『野獣降臨』が岸田戯曲賞を受賞。もっと退屈な時にくれれば良いのに、まったくもう、と思ったけれど口にはせず、賞金が安すぎるとだけ口にする。 春、『大脱走』本多劇場にて大幅改訂、再演。 秋、『小指の思い出』(『当り屋ケンちゃん』の戯曲化)初演。女装癖が一気に開花。日本国内に女装ブームを巻きおこし、隣り近所に白い目で見られる。  一九八四年[#「一九八四年」はゴシック体] 三年連続正月返上。V3なる! 『瓶詰《びんづめ》のナポレオン』初演。毎年、盆と正月を迎えないでいると、だんだんと体が日本人離れしてくる事実を発見。 春、『野獣降臨』再演後、初めて地方公演にでむく。 夏、人の金で世界一周する。 秋、『回転人魚』初演。劇団男優陣、上杉祥三、段田安則、松沢一之、佐戸井けん太らの人気沸騰。十年先から見れば「えっ!? あの人がいたの?」というような超大型豪華客船のような劇団に成長。但《ただ》し、僕の心は一向に成長する気配を見せず、本人、周囲にとって大きな悩みとなる。『ミーハー』『人類への胃散』などエッセイ集を書いて気を紛らせる。  一九八五年[#「一九八五年」はゴシック体] 四年連続正月返上し、二十代サイゴの年、三部作に挑《いど》む。 二月、三月『白夜の女騎士《ワルキユーレ》』東京公演の後、西日本にて公演。 夏。青春から朱夏にかかる季節、人生と季節の一致をみる。まして白秋、いつか玄冬……とあれこれ思う曲り角のお年頃。つくば博にて『彗星《すいせい》の使者《ジークフリート》』を上演。つくば博のコンパニオンと仲良くなるというおまけがつく。 さらに、西武パルコ劇場にてつくば博|凱旋《がいせん》公演と意気|軒昂《けんこう》な八月三十一日。子供の頃の暦で言うならば、夏休みの宿題におわれる日。 舞台上でケガ。初めての入院生活をタンノウするも、タンノウに異常なし。 禍《わざわい》転じて慶応病院の看護婦さんと仲よくなる。病室にいただいたつくば博のコンパニオンからの見舞いの花に、後ろめたさを感じながら、白衣の天使に、心、大きく傾く。 秋、寝心地のよい病床生活に傾いた心を、うんとこしょっと元に戻して、三浦海岸で、三部作完結編『宇宙《ワルハラ》蒸発』を前のめりで書きあげる。 十二月、初の全国縦横無尽公演にでかける。 そのどさくさの十二月二十日、三十歳となる。 「三十歳・努力」という紙を、人知れず部屋にはるも、翌日、はがれる。  一九八六年[#「一九八六年」はゴシック体] 一月十九日、うっかり結婚。 劇団内の女優に手を出さない、と書いた頃には、もう手を出していたことがバレル。同時におかまの疑いハレル。 結婚祝いとして、コーヒーカップ、ぬいぐるみ、恨みがましい手紙、花、オルゴール、第二十回紀伊國屋演劇賞、電気|釜《がま》、すき焼きセット、ワイングラス、ワイン、通りいっぺんの祝電、皿《さら》、ガウン、傘《かさ》などが届く。 おかげで一財産築く。 春から夏、三本の演出をてがけ、笑わば笑えの大ワラワ。 六月八日、代々木屋内プールにて三部作一挙上演を敢行し、鉄人となる。 七月、『走れメルス』再演。 同時に、日生劇場で、兄弟と呼ばれているシェイクスピアの、『十二夜』を外部初演出。 さらに九月、『小指の思い出』再演。ビデオ製作。 美貌《びぼう》の衰えにおびえて、人類男性史上はじめてマックスファクターのエステティックに通い、鼻の脂《あぶら》をとる。 十二月、人間の分際でありながら、萩尾望都《はぎおもと》という少女漫画界の神の『半神』を真白い芝居にする。 この一年で五万人の足を劇場に運ばせたことに満足していたら、もうじき、一日で五万五千人入る新後楽園球場が完成すると聞く。そのニュースを右の耳にしながら、ついに、六年ぶりに、除夜の鐘を左の耳にする。  一九八七年[#「一九八七年」はゴシック体] 父親死ぬ。 春、『明るい冒険』初演。遊園地のような青山劇場で、お化け屋敷のような芝居を上演。 夏、はじめての海外公演(エジンバラ演劇フェスティバル)で『野獣降臨』を再演予定。 ちょっくらそこへむけて、死なない程度に努力している今日この頃、みなさまにおかれましては、秋の帰国全国縦横無尽公演のチケットはお早めにね。 この作品は昭和五十八年九月新潮社より刊行され、昭和六十二年七月新潮文庫版が刊行された。